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2019.09.11

あそぶ

パラ水泳界の先駆者・江島大佑(33)が掴み取った「オリジナル」の自分

8月上旬、肌を焦がすような真夏の日差しが降り注ぐ東京の街。
行き交う人々は日差しを避けるように街路樹の木陰を歩いている。ねっとりと纏わりつくような熱気にうんざりしながら、スマートフォンの液晶上の地図に示された目的地まで、あとわずかで到着することを確認する。ふと顔を見上げて、目的のビルを探していると、筆者の少し前方を細身の男が歩いていた。
左足を引き摺りながら少し窮屈そうに歩く姿をみて、「もしかして、あの人は……」と思ったのも束の間、その男は、涼しげな表情で筆者が目指していた建物のなかへと姿を消した。
 

飄々とした佇まいの男の正体


部屋に入ると、先ほど颯爽と歩いていた男がジャージ姿で座っていた。彼の名は江島大佑(33歳)。
これまで、アテネ・北京・ロンドンと3大会でパラリンピックに出場したベテランのパラリンピアンだ。アテネでは銀メダルを獲得するなど、日本のパラ水泳界を長いあいだ牽引してきた存在で、現在は東京パラリンピックへの出場を目指している。
パラ水泳は基本的に、国際水泳連盟のルールに則って競技が行われている。大会では障がいの種類や程度ごとに「クラス分け」が行われ、同程度の競技能力を持った選手同士で順位が競われている。観戦する人にとっては非常にわかりやすく、シンプルに「誰が一番速いか」を観て楽しめる競技だ。
目の前に座っているスリムな男の姿を見る限り、彼がどこに障がいを抱えていて、どれほど速く泳ぐのかは一切わからない。まずは普段の生活のことを聞いてみる。彼はこう答えた。
「苦手なのは両手で行う作業ですね。例えば、拍手をしたり、重い荷物を持ったりすることはできません。あとは、意外とスリッパが履けないんですよ。左足が動かないので、途中でスリッパが脱げてしまうんです。まぁでも、それくらいですかね」。
飄々と話す江島だが、時折見せる表情は、数々の試練を乗り越えてきた人間にしか身にまとうことのできない硬質な雰囲気を漂わせる。明らかにアスリートの佇まいだ。目の前に座るこの男にどんな歴史があり、どんな能力があるのだろうか。
 

突如、江島の身体を襲った異変

試行錯誤を繰り返し、独自の泳ぎ方を編み出した江島選手。
もともと、江島は、オリンピックを夢見る少年だった。3歳で始めた水泳はメキメキと才能を伸ばし、中学生になる頃には全国大会を狙えるほどの実力を持っていた。そんな矢先の13歳の夏、江島にとって人生のターニングポイントが訪れる。
水泳の練習中に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残ってしまったのだ。
「プールサイドで、体育座りをしながら自分の順番が来るの待っていました。いざ僕の番がきて、立ち上がろうと思ったところ、バタッと倒れてしまったんですね。おかしいなと思って、もう一度立ち上がろうとしましたが、左半身が動かない。そのまま救急車で運ばれて、車内で意識を失いました。で、その3日後にバッと目が覚めたら病院の集中治療室にいて…… そこで医者から脳梗塞と言われて、初めてことの重大さに気づきました」。
医者からは、脳の血管が死滅し、「運動野(うんどうや)」と呼ばれる運動をコントロールする領域に損傷があると説明を受けた。確かに、左半身がまったく動かない。つねってみても、叩いてみても、痺れているような感覚で痛みを感じることはなかった。さらに、医師からは再発のリスクがあり、そのときは命を落とす可能性もあるとの説明が付け加えられた。
隣には、沈痛な面持ちの両親が座っている。13歳の少年には、あまりにも酷なシチュエーションだった。
「なんで僕が……」。
大好きだった水泳ができない。学校で友達と遊ぶこともできない。そう悟った江島は、一週間、泣き続けたという。突然にやってきた暗闇から、明るい未来を想像することはできなくなっていた。
「もう何がなんだか分からなくて。正直、人生に絶望しました。生きることも諦めかけました」。


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