ゴールキーパーならではのメンタリティ
「試合に出るか出ないかだけで日々の気持ちを処理していると、モチベーションを保ち続けることはできません。試合に出られなくても、毎日トレーニングを積み重ね、信頼を積み重ねるしかありませんからね。でも、試合に出て終わりじゃない。自分が試合に出たときに、どれだけチームに貢献できるかを考えて、日々を過ごしています」。
ゴールキーパーは、本当に無慈悲な職業だ。チームでたった1人しか試合に出ることは許されず、ようやく試合に出ても、たった一度ミスをしただけで、集中批判に晒される。だからこそ、川島はひとつのプレー、ひとつの試合だけで一喜一憂することはない。いや、一喜一憂などしていられないのだろう。
川島のその心の持ちようは、どこから生まれたものなのだろうか。川島はしばらく考え込んだあと、その源にある考えを口にした。
「試合に誰を出すかを決めるのは、監督の仕事。僕ではない。だからこそ、試合に出ても出なくても、自分自身を変えないようにすることが大切だと思っています」。
どんな社会でも、常に評価を下すのは自分以外の他人だ。仮にたったひとりに評価されなくても、そこで簡単に自分のやってきたことを変えることなく、継続するという信念のようなものを、川島は自然と身につけてきたのだろう。
「昔から上手くいかないことだらけですから。試合に出られない日々も長いこと経験してきました。うまく行かないときに、自分がどんな行動をとればいいのか、自分がどんな心でいればいいのかは、苦しい経験をしながら、自分のなかで腑に落ちていっているのかもしれません」。
守護神・川島の“心の原点”
このように、苦境の乗り越え方を身につけた川島だが、これまでのキャリアのなかでもっとも苦しかったのは、意外にも名古屋グランパス時代だったそうだ。
若き日に年代別の日本代表で活躍し、活路を見出した川島は、2004年に、さらなる飛躍を誓って、名古屋グランパスエイトに移籍した。そこには、日本を代表する名ゴールキーパー・楢﨑正剛が君臨していた。
確かな自信を持って挑んだつもりだったが、成長著しかった当時の川島をもってしても、楢﨑の牙城を崩すことはできず、控えに甘んじる日々が続いた。「一生、控えのままでキャリアが終わってしまうのではないか」という不安が脳裏をよぎったそうだ。
「どうやったらナラさん(楢﨑)を超えられるんだろうと、いつも考えていました。でも、敵う(かなう)という感覚すら持てない。このまま追いかけているだけでは一生超えられないと気が付いてから、次第に自分自身の強みにフォーカスを当てるようになりました」。
このときから川島は、楢﨑の影を追い求めることをやめ、自分自身のスタイルを追求するようになっていった。結局、名古屋に所属した3年間で、リーグ戦への出場はわずか17試合。しかも、そのほとんどは、楢﨑の負傷などが理由で川島に出番がまわってきたものだ。
最後まで楢﨑の牙城を崩すことはできなかったが、当時、苦しみながらも自分にフォーカスしたことがその後の躍進の原動力となり、今も川島の心の原点となっている。
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