歩んできた道は苦難の連続だった
これまで川島は、出場した過去3度のワールドカップで、全試合にフル出場を果たしている。11試合のフル出場は、長谷部誠(35歳)、長友佑都(33歳)と並ぶ日本人最多出場記録だ。この記録は、歴代の監督からの信頼の証と言っても良いだろう。そんな川島のこれまでの足取りを簡単に振り返ってみよう。
高校を卒業した川島が最初に選択したクラブ・大宮アルディージャでは、特に最初の2年間は出場機会を得ることができなかったが、3年目になってようやく、正ゴールキーパーの座を獲得する。その間、年代別の日本代表で国際経験を積み、海外留学を経験するなど、海の向こうの世界への想いを膨らませていた。
次に、「今のうちに自分のベースをしっかり広げたい」という理由で移籍したのは名古屋グランパスエイト(現在の名古屋グランパス)だった。だが、そこで待っていたのは、ベンチを温める日々だった。
未来が見えない状況にもがき苦しむ川島が選んだのは、出場機会を求めて移籍した川崎フロンターレ。そこで、ようやく大ブレイクを果す。シーズンを通じて試合に出場し、チームの上位進出の原動力となった。ちょうどこの頃から、日本代表にも選出されるようになり、名実ともに日本を代表するゴールキーパーに成長していった。
2010FIFAワールドカップ 南アフリカ大会終了後には、兼ねてから想いを馳せていた海外クラブへの移籍を果たし、ベルギーのクラブで実績を積む。
しかし、2015年には再び苦境に陥ってしまう。無所属の時期が半年以上も続き、一時期は日本代表からも遠ざかってしまった。その後も幾度となく逆境を跳ね返してきたが、現在所属するストラスブール(フランス)でも、シーズンを通してリーグ戦の出場はわずかに1試合と、非常に苦しい1年を過ごした。
通常、プロサッカークラブのトップチームには、3名〜4名のゴールキーパーが所属する。もちろん、試合に出られるのは、たった1人だ。しかも、余程のアクシデントがない限り、ゴールキーパーが試合中に途中交代することはない。故に、ゴールキーパーが試合に出るためには、チームのライバルたちとの競争に勝ち、スターティングメンバーの座を確保しなくてはならない。
川島はこれまで、所属したチームのほとんどで、第3ないしは第4ゴールキーパーからのスタートだった。にもかかわらず、いつも最後には正ゴールキーパーとして、ピッチに立ってきた。
これだけの困難を、川島はどのように乗り越えてきたのだろうか。
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