東京と館山の2拠点生活
現在、飯沼は、東京都世田谷区でライフセービングを取り入れたスイミングスクール事業を行いながら、夏場を中心に千葉県館山市や南房総市で海辺の安全と環境を保全する活動を行い、さらには、再び全日本選手権で上位へ食い込むことを目指して、日々トレーニングを続けている。
なぜ飯沼は、2拠点生活をしてまで、競技の第一線にいることを望んでいるのだろうか。
「例えば、海で人がいなくなったっていう連絡が入ると、我々ライフセーバーの間には一気に緊張が走るわけです。その人は海に入ってるのか。海に入ったのは何分くらい前か。人の動きや潮流、風の状況などの手がかりを元に判断しながら、1秒でも早く人命に辿り着かなければならないんです」。
ライフセービングは、競技の勝ち負けだけの世界ではない。1秒でも早くゴールしたその先に、人の命がある。人命救助の場に年齢は関係ない。常に1秒でも早く、人命にたどり着くためにトレーニングを行うのだ。
また、飯沼はもう一つの拠点である、東京都世田谷区での活動にも強い想いを持っている。
「日本の水難事故が減らないのは、実践的な水の教育を受けていないからです。例えば、水難救助の先進国・オーストラリアには、水泳に『スイム&サバイバル』という教育プログラムが存在しています。まずはサバイバルスキルを上げたあとに、競泳のような競技があるんです。海洋国家である日本も、もっとライフセービングを教育に組み込んでいくべきだと思っています」。
水泳は長らく、幼稚園や小学生の習い事の人気No.1の座に君臨している。これだけ人気が高く、多くの学校にプールが設置され授業に組み込まれているにも関わらず、最近の10年間の水難事故件数は、上のグラフが示すように一向に減っていない。
飯沼が指摘するように、実践的なサバイバルスキルが不足していることが原因の一端であるとしたら、今後、ライフセーバーが運営するスイミングスクールがもっと増えていっても良いのではないだろうか。
飯沼はこのように東京都世田谷区で水辺の教育を行い、千葉県館山市で海の実践的なスキルを継承しライフセーバーの育成しながら、2拠点を活用して、日本にライフセービングの文化を広める活動をしているのだ。
一般社会にもライフセーバー的な存在を
さらに、飯沼の飽くなき追求は、水辺だけにとどまらない。これまでライフセーバーとして人命救助の最前線に立ってきた経験を活かし、2017年より、ほかのスポーツ競技選手を巻き込んだ新たな取り組みを行なっている。一般社会の中で、ライフセーバーのような存在を増やしていきたいという想いのもと、「アスリートセーブジャパン」を立ち上げたのだ。
アスリートセーブジャパンでは、安全なスポーツ環境の実現を目標に掲げ、万が一事故が起こっても誰もが冷静に対処できるように、アスリートが講師を務める「いのちの教室」を開催し、「一次救命の知識と技術」、「いのちの大切さ」を子供たちに伝えている。
「AEDや心肺蘇生の知識やスキルは、いざというときに利用されなければ意味がありません。日本のAED普及率は世界でもトップクラスですが、使用率となるとわずかに4.7%程度にとどまっています。AEDが普及しても使われなければ命は救えません。万が一のときに、『いのちの教室』を受けたおかげで、人命救助のアクションを起こすための最初の一歩になってもらえればという想いで活動しています」。
飯沼はこのように語りながら、まっすぐに遠くを見つめた。その視線の先には、救われるべき尊い命がある。飯沼は、今日も水辺に立つ。日本の未来を水辺から変えるために。
瀬川泰祐=取材・文・写真