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「37.5歳の人生スナップ」を読む
「僕にとって海やプールは、リラックスできる場でもあるし、命を守る厳しい場でもあります。いずれにせよ、水辺は僕のライフスタイルそのものですね」。
こう語るのは、ライフセーバーの飯沼誠司だ。飯沼は、44歳になった今も、ほぼ毎日のように海やプールで救命や教育の現場に立ちながら、ライフセービング競技に取り組むアスリートとしても活動している。
水と飯沼との蜜月な関係
飯沼は幼い頃、喘息やアレルギーを持っていたが、体質改善に良いと言う医師の勧めで、3歳から水泳を始めた。5歳になる頃には、徐々に体質は改善され、もっと真剣に取り組みたいと親に志願するほど水泳にハマっていった。
小学5年生のときにはジュニアオリンピックに出場。その後も順調に成長を続け、高校生のときにはインターハイに出場するなど着実に実績を積み重ねていく。だが、飯沼の競泳に対する情熱は徐々に冷めていったという。
「高校生の頃は、多い日では20kmほど泳いでいました。朝練で3時間、放課後に3時間半。毎日、授業時間より長く泳いでいたにも関わらず、3年間でタイムが1秒しか伸びなかったんです。タイムを縮めることに対する精神的苦痛が大きくて、競泳に対するモチベーションは上がらなくなっていました」。
そんな飯沼がライフセービングに出合ったのは大学に入学したときだった。ライフセービングの競技性もさることながら、海の中という大自然で競技に打ち込む男たちの逞しさに大きく心を動かされた。
「正直なところ、人の役に立ちたいとか人の命を救いたいという動機ではありませんでした。大学に入学した頃の僕は、『もやし』って言われるくらい線が細かったんです。だから、ライフセーバーたちを見て、純粋にその逞しさに憧れました」。
飯沼は、ライフセービング競技の花形種目アイアンマンレース(現在はオーシャンマンレースに改名)をメインに活躍するようになり、学生大会で優勝するなど徐々にその頭角をあらわす。
大学卒業後には、オーストラリアが主催するオーシャンマンレースのワールドシリーズ「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に日本代表として選出され、日本人ライフセーバーとして初めてプロ契約を果たす。また全日本選手権5連覇を達成するなど、名実ともに国内最強のライフセーバーとしてトップの座に君臨した。
芸能活動を経て気づいた自分のアイデンティティ
こうして、トップアスリートとして歩んでいた飯沼に転機が訪れたのは27歳の頃だった。その端正な顔立ちと明るいキャラクターを、メディアが放っておかなかったのだ。バラエティ番組を始め、TV番組への出演が大幅に増えていくと、思うように練習時間が取れなくなっていき、その結果、2002年に行われた第28回全日本選手権で6連覇を阻まれてしまう。ちょうどそのタイミングで競技の第一線からは退いた。
TBSの人気スポーツバラエティ番組「スポーツマンNo.1決定戦 “芸能人サバイバルバトル”」では、持ち前の身体能力を活かして毎年のように上位争いを繰り広げ、お茶の間にその存在は知れ渡る。さらに、映画『海猿』(2004年公開)など、水を扱う作品を中心にテレビや映画で存在感を示し、活躍の場は舞台や映画、ドラマにまで広がった。飯沼は芸能活動に力を入れていた当時のことをこう振り返る。
「5年ほど芸能の仕事に力を入れました。“酸いも甘いも”とは言えませんが、芸能の世界でいろいろな経験をして、改めてライフセービングは僕のアイデンティティなんだと感じました。そこで、イチから社会人チームを立ち上げて、社会人が参加しやすいライフセービングを行なっていこうと思うようになりました」。
ふたたび水に囲まれた生活へ
ライフセーバーとしての活動再開を視野に入れ始めた飯沼は、あるとき、千葉県館山市でライフセーバーが育っていないことを知る。当時の館山市には11の海水浴場があったが、事故が多いうえに、地元のライフセーバーはゼロ。市外からライフセーバーたちが館山の海を守りにきているような有様だった。
飯沼は、これだけ多くの海水浴場があり海に恵まれた環境であるにも関わらず、地域に海を守る力が備わっていない状況に強い疑問を抱いた。そこで、ライフセーバーの育成という目的のもと、地域の人々やライフセーバー仲間たちとともに「館山サーフクラブ」を立ち上げ、ライフセービングの活動を本格的に再開することにした。ちなみに、飯沼は館山という土地の魅力を、のちにこのように語っている。
「館山は、内房から外房にかけて海水浴場が点在しているんです。初心者は内房で育て、エキスパートは外房に出て実践的経験を積み、トレーニングすることができる。ライフセーバーの育成環境として本当に素晴らしいところでした」。
飯沼は、館山の海を守りながらライフセーバーの育成を行い、自らもトレーニングを再開。再び競技の第一線に戻ると、2008年には全日本選手権で王座に返り咲いた。さらに2010年には、世界選手権エジプト大会に日本代表のキャプテンとして出場し、プール種目において日本初の銀メダルを獲得するなど、最強のライフセーバーとして完全復活を遂げたのだった。
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