「別に会社を大きくしなくていい」と気付いてラクになった
商品プロデュースから実際の販路形成まで、自分が汗をかかないことには始まらない食品輸入の仕事は、やりがいや手応えを感じられて楽しかったという。そして異業種への挑戦が、結果的に働き方に対する迷いを払拭することに繋がった。
「結局自分は何かをヒットさせるのが好きなんですよね。それはアーティストでも食でもお酒でも変わらない。そのなかで別に社長だからって必ずしも会社を大きくする必要はないんじゃないかと、ふと気付いたんです。そもそも会社経営を楽しめるタイプじゃないし、そう決めたら『これで本当にやりたいことだけができる、やりたいことはなんでもやろう』と気持ちがラクになりました」。
さらに、橘さんはこう続ける。
「日本の社会では二足の草鞋というのが時としてネガティブに捉えられることもあります。実際に先輩から複数の名刺を持っている奴は信用されないよ、と忠告されたこともありますし。なんだか悪いことしているのかなという後ろめたさも当初はあったのですが、今はそういったことも吹っ切れて、開き直りましたね」。
40歳を目前に余分な欲望は削ぎ落とされ、自分にとって大事なものが見えてきたのだ。その気付きを得てからは「楽しいと思えることはなんでもやってみよう」というポジティブな感情が奮起の材料になっているという。
「人の話を素直に聞けるようになりましたね。意固地にならず、人と比較せずに、自分の弱さや相手の良さを認められるようになった。本当の意味で自信がついてきたのかなと思います」。
その自信が、多忙な日々を送りながらもどこか余裕を感じさせる佇まいの秘訣でもあるのだろう。橘さんはどの仕事にも共通するひとつのテーマがあると話す。
「とにかく人が喜んだり楽しんだりしてくれること、なにコレ?っていう驚きや感動のあるものを作りたい。これはエンタメでも食でも変わらない。それができれば肩書きにはこだわらないですね」。
今年3月に公開された映画『家族のレシピ』は橘さんプロデュースの作品だ。シンガポール映画界の第一人者エリック・クー監督とタッグを組み、シンガポール・日本・フランスの合作という異色作となった。
上映会が催された「高崎映画祭」では、映画祭側が招待者のために企画されたシンガポールの料理・ペッパークラブを振る舞うイベントが企画された。そんな中、日本ではなかなか手に入らない材料のマッド・クラブを手に入れようと飲食店を駆け巡り奔走する橘さんの姿があった。
「喜ぶ顔が見たい」
さまざまな顔を使い分けながらも、橘さんの心が求める表情は、たったひとつのシンプルなものだった。
藤野ゆり(清談社)=取材・文