30代前半で大手芸能プロデュース会社から独立
8歳から19歳まで香港とシンガポールで育ったという橘さん。大学入学を機に日本へ戻ってくるまでのほとんどを海外で過ごし、卒業後はエンタメ業界の大手アミューズに入社した。
「人生で最初の上司は厳しくて影響力のある人でした。今も尊敬しているんですけど、まるで映画『プラダを着た悪魔』に登場する上司のようで(笑)。会食のお店選びから毎日の自分の洋服までチェックされて。『センスないわね』って言われたときは悔しかった」。
そんなアミューズで、橘さんは持ち前の行動力を武器に躍進。人気アーティストや俳優のマネジメントを担当し、プロデュースのノウハウを培っていく。
仕事は順調そのものだったが、「27、28歳のときにふと辞めるなあと思ったんですよね」と語るようにその必要性を感じて独立し、現在の会社を立ち上げるに至った。設立当初は北米を中心に日本人俳優や音楽家の海外窓口として売り込みをスタート。その後、自身のルーツでもあるシンガポールの目覚ましい発展に目をつけ、インドネシアまで市場を広げていく。
30代半ばにして順調に会社の業績を拡大していく様は傍目に見れば順風満帆そのものだっただろう。しかし、橘さん自身はどこか焦りのようなものを感じていた。
「独立してしばらくは社長にありがちな欲望を持っていました。会社上場とか、複数の社員を抱えて立派なオフィスに美人秘書……とか(笑)。それこそもっと要領が良い人なら可能だったかもしれない。でも僕はそれができなかったんですよね。というのも仕事は人に任せるより、自分で汗かいて自分の足で動いたほうが楽しいと感じてしまうタイプなんです」。
30代、自分の思い描く社長像と実際にやりがいを感じる仕事内容のギャップはなかなか埋まらなかった。代表としての見栄やプライド、意地もあり、嫉妬を感じることも少なくなかったという。そんななかひとつの転機となったのは、ロサンゼルスの有名スイーツとの出合いだ。
「仕事でロスに行ったときに、いつもお土産を買っていたスイーツ店のオーナーパティシエから日本でも展開してみたいって相談されたんです。そこで私は、成田に着くなり現在パートナーである友人に電話をして、誰か興味ある人がいないか聞いたんです。ところがその友人は面白そうだから一緒にやろうと言って、それでふたりで日本発売のために動き始めました」。
直感を信じて輸入食品の世界に飛び込んだのは35歳のとき。当然、食に関する仕事の知識はまったくない状態。しかし音楽などエンタメではないものをヒットさせてみたいとも思った彼には、「これは」という予感めいたものがあったという。最初は業界からの反発もあった。
「たとえば百貨店にスイーツを置いてもらうとしても、百貨店には百貨店の伝統、ルールがある。今となっては知らなかったからできたなということも多くて、当時は周囲から散々叩かれました」。
しかし結果的に橘さんの手掛けたスイーツは入手困難と言われるほどの大成功を収め、今もなおその人気は続いている。
5年前、同じくロスを訪れて見つけた「マンハッタンマルガリータ」も同様だ。マルガリータは南カリフォルニアなどビーチリゾートでは祝い事の定番酒。橘さんはマンハッタンビーチのサーファーが趣味で作るマルガリータの評判を聞きつけ、すぐに興味を持った。
「実際に飲みにいったら美味しいので、即商品化しようと決めました。今もサマソニとか野外フェスのブースで、暑苦しいおじさんたちで声出して売ってますよ」。
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