見るモノ変わるメガネの世界
迫りくる老眼、ブルーライトとの戦い。年齢や時代とともに気になることが増えてきた目とメガネにまつわるアレやコレ。正しい知識と選択で、自分の視界も他人の視線もガラッと変わる。見るモノ変わるメガネの世界、ご覧あれ。
さまざまな経験をして、仕事も家庭も人生の繁忙期である時期に突入した我々の感覚は時折、昔とった杵柄に頼りがちだ。
あなたが今、掛けているそのメガネはどうだろうか?
視力矯正の道具であるがゆえ、ほかの小物よりもアップデートが億劫になりがち。今回は、ファッションピースとしても重要なメガネを時代に合わせてしっかり更新するため、メガネの平成史を振り返ってみたい。
第一章:1989年~2000年
「仕方なく」から「好きなものを」へ
ファッションの一部として、メガネとサングラスとを同一線上で楽しむ。今では当たり前とも言えるこの環境が根付いたのは、意外にも最近の話。
平成が始まってすぐは、どこのメガネショップへ行っても名の知れたファッションブランドのライセンス系のサングラスが多く並んでおり、メガネに至ってはまだまだ視力矯正のために“仕方なく掛ける”モノ、という認識が一般的だった。
画一的なメガネ事情に収まらない洒落者の先輩たち曰く、気の利いたメガネを誂えるための選択肢は原宿のセレクトショップ「ロイド」か、上野の老舗「白山眼鏡」ぐらいだったという。
その潮目が変わり始めたのが1995年から2000年にかけてのこと。
日本では、独自の設計概念で個々の顔に合わせて微細なフィッティングができる「フォーナインズ」や、ドイツではネジを一切使わない画期的な構造を打ち出した「アイシー・ベルリン」などを筆頭に、小規模かつイノベーティブなブランドがデビューしたことが大きな理由だ。
彼らの登場によって、間違いなくメガネ選びに“掛け心地”という選択肢が加わった。
一方で、今まで裏方だった職人にスポットを当て、伝統的な技法や昔ながらのセルロイドによるフレームを推す「金子眼鏡」の職人シリーズが丸の内のビジネスマンに支持を受けるなど、古くからのモノづくりを見直す流れと最新のテクノロジーをデザインに昇華する流れが互いに拮抗しながら発展し、好みに合わせて自分らしい一本を選ぶというアイウェアトレンドの土台を固めていった。
また時を同じくして、その受け皿とも言うべきアイウェアショップにも変化が表れ始めた。当時、一般市場に流通していない国内外のハウスブランドや、国内に代理店を持たない海外ブランドをオーナーの目利きで直接買い付けて販売するインディペンデントなアイウェアの“セレクトショップ”が新たに姿を現す。
その代表格が、1995年にオープンした渋谷の「グローブ スペックス」や青山の「オプティカルテーラー クレイドル」で、場所柄、ほかにはないデザインを渇望してきたクリエイターやファッション業界やメディア関係者の間で話題となり、口コミで徐々に広まっていった。’95年~’00年は「マスデザインから個のデザインへ」、アイウェアが飛翔した時代と言えるだろう。
2/3