スニーカー愛に溢れる男が語る「トクベツすぎる10足」とは?
オーシャンズ世代に捧げるスニーカー偏愛物語 vol.4編集者小澤匡行 さん Age 40伝説的なストリート誌「Boon」でフリーランスとして大学在学中から活動。その後、数々のメンズファッション誌に携わる。大のスニーカー好きとして知られ、著書『東京スニーカー史』(立東舎)を上梓する。185cmの長身で一児の父。
「選びの目線は、基本的に服に似合うかどうか。履かなそうなものは買いませんね」。
スニーカーフリークとしてメディアに露出することが多いが、その選択は、常にファッションの最前線に触れてきた小澤さんらしい。
紹介するのは、「自分を形作ったスニーカー10傑」。まさに今40歳なだけに、彼のスニーカー遍歴は、多くの読者が共感できるものではないだろうか。御多分に漏れず、小澤さんもスニーカーに目覚めたのは中学時代。バスケ&陸上小僧だったアスリート目線からファッション目線に移行する。
「この時代といえば、ファッション=古着。チャンピオンのリバースウィーブやリーバイス501XXに似合うスニーカーこそ正義でした。最初に大枚はたいて買ったのが、ナイキのLDV(01)。当時4万円近かったので、買うまではこれを持っている友人に、デートや文化祭の打ち上げなど“ここぞ”というときに借りてました(笑)」。
これを入り口に、スニーカーの奥深い世界にますますハマっていく。
「大学時代、『Boon』で働く前に語学留学と銘打って渡米するんですが、やっていたのは、レコードとスニーカーのバイイング(笑)。ファッションはヒップホップ系でした。当時はハイテクスニーカー最前線で、最新のものが正義。コレクター感覚で新作に手を出していましたね」。
渡米中にスタートしたばかりの
ナイキiD(※1)で作ったナイキ エア プレスト(02)や、帰国後も原宿に行列ができたというナイキ エア ウーブン(03)も入手。さすがの目ざとさである。
そんな小澤さんにも転機が訪れる。スニーカーブームも終焉を迎えていた2005年頃。
「大人の靴選びがしたくなったんです。当時、トム ブラウンの台頭やラルフ ローレンが復権。もともと“服に合わせる”が信条でしたので、足元も革靴にシフト。それでもニューバランスのM1700(04)は、これまでと異なる“大人目線”で履けました。実際、スーツやジャケパンに合わせて、
大人のハズし感覚(※2)を楽しみましたね」。
同様に、コンバース アディクト(05)も大人目線の賜物だと語る。そして30代に入ると、生来のアスリート気質が再燃してランニングを開始。“DO目線”が加わることに。
「GT-2000(06)は、これまで“部活の靴”だったアシックスが、ファッション的にもアリと思わせてくれた一足。ラン&普段履きの両刀です。今でこそ“ダッドスニーカー”はブームですけど、誤解を恐れずに言えば、僕が先駆けかな(笑)」。
一方、スニーカー関連の仕事をするなか、その存在感の大きさを改めて思い知らされたのが、ナイキ エア マックス 95(07)だ。
「20周年記念の取り組みでポートランド本社のデザイナーにインタビューをする機会があったのですが、やはりこのモデルは、今の自分を形成するにあたって欠かせない存在だったんだと再確認」。
相棒のようにスタンスミス(08)を履き続ける一方で、昨年登場したコム デ ギャルソンとナイキがコラボしたナイキ ナイトトラック(09)やアップカミングなブランド、ヴェジャ(10)、2月に即完売した
ナイキ エア マックス 720(※3)など、“最新”のキャッチアップも忘れない。
「スニーカーは、自分の感覚を研ぎ澄ましてくれる特別な存在なんです。この年になると手持ちの使い回しでOKとなりがちですが、新鮮さを楽しむ気持ちはいつまでも保ち続けたいですね」。
偏愛トークにまつわるお節介な注釈※1 ナイキiDナイキが先駆けた、今ではお馴染みのカスタマイズシステム。ファーストモデルは、エア プレストだった。
※2 大人のハズし感覚スーツに強い雑誌など、大人の媒体に携わることで、ユナイテッドアローズの栗野宏文さんなどのスーツにスニーカーという着こなしに惹かれていったそう。
※3 ナイキ エア マックス 72038mmとナイキ史上最高の厚さを誇るエアソールを装備する最新モデル。近未来的なビジュアルと相まって、発売するなり即完売に。小澤さんも即購入。
比嘉研一郎=写真 髙村将司=文