日本勢期待の選手は、西村 拳。
「脚をまるで手のように速くコンパクトに動かせるのが西村選手の最大の長所。空手は相手の懐に入ったほうが安全圏になると言われますが、足の柔軟性に優れた西村選手の蹴りに、安全圏はないと言っていいでしょう」と評するのは全日本空手道連盟・広報担当の井出將周さん。
しかし世界中で愛される空手、もちろん海外にも強豪は多くいる。
「例えばアゼルバイジャンのラファエル・アガイエフは、一瞬にして相手の懐に入って技を繰り出し、一瞬で相手から離れる動作が人間離れしたスピードです。東京オリンピックでは日本勢含め混戦が予想されますね」。
さらに通常、空手の組手は男女とも体重別の5階級制だが、東京オリンピックでは階級が統合されて男女とも3階級制で行う点も、優勝予想のしにくさに拍車をかけているという。日本勢の応援はもちろんだが、そんな世界の強者がアンビリーバブルな技の応酬でしのぎを削る大会そのものも純粋に楽しみたい。
……と、組手はほかの武術・格闘技の試合を見慣れていれば、比較的すんなりと入っていける、わかりやすさがある。
それに比べ、一般的に知らない点が多いのは「形」だろう。だが、井出さん曰く「組手に比べれば、形は日本勢がメダルの有力候補」とのこと。これは詳細を知っておきたい。
一人でやる「形」は、何を競うんですか?
形は空手におけるフィギュアスケートのような競技である。空手の突き、蹴り、打ちといった技を、決められた一連の動作(これが「形」)で披露していき、その技の正確さや力強さ、スピード、リズム、極め、バランスなどの優劣を競う。フィギュアスケートでは競技することを「演技」と呼ぶのに対し、形では「演武」と呼ぶ。
形はさまざまなバリエーションがあり、流派ごとに独自の技や構えもある。大会ではWKFが認定する形リストの中から選手が希望する形を選んで演武。それぞれの形には名称があり、選手は演武を始める直前に、その名称を呼称する。
採点基準は素人にはわかりにくいかもしれないが、形の本質、最大の特徴を知れば、「見方」は理解しやすくなる。
先ほど形はフィギュアスケートのようなもの、と説明したが、形とフィギュアスケートの最大の違いは、祐介さんも言うように形には「敵」が存在することである。
もちろん演武なので実際に相対する敵はいない。つまり、選手は仮想敵、敵がいると仮定して演武を行うのだ。ゆえに、いくら技の動きが美しくスピーディでも、敵の存在を感じさせない、言い方を変えれば実戦的ではない演武の評価は低い。いわばフィギュアスケートにおける「表現力」のようなものである。ゆえにイマジネーションに優れる選手は強い。
「トップクラスの選手ともなれば、演武の突きも、それがどれくらいの重さの突きなのか、つまり、どれくらいの重量の相手にしている突きなのか、その違いも表現しています」。
そこにいないはずの相手が、なんだか見える気がしてくる。それが形の真骨頂なのだ。
形は「技術点(テクニカルパフォーマンス・技術面)」と「アスリート点(アスレチックパフォーマンス・運動能力面)」で採点されるが、近年は形の選手の“アスリート化”が進んでいるという。
「昔は、形は形だけやっていればいい、という認識でしたが、現在はほとんどの選手がウエイトトレーニングなどでフィジカルを鍛えています」。形そのものの技術に加え、一つひとつの動きの力強さやスピードも進化しているというわけだ。
そんな形の世界トップランナーには、前述した通り日本人選手も多い。特に男子の喜友名諒選手は、世界ランキング1位を安定してマークする実力者。寡黙でストイックに演武を追究する姿は、練習でも、まるで常に強敵が目の前にいるかのような迫力である。
「形の会場は競技が始まるとシンと静まり返り、選手の演武が始まると空手着の衣擦れの音まで聞こえてくる。そして、素晴らしい動きが決まると会場はスタンディングオベーションに包まれます」と、まさに“武術”ならではの醍醐味に満ちている形。ぜひ一度、その目で確認してほしい。
田澤健一郎=取材・文