>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む「三菱重工を辞める。そう言うと、周りの人たちは信じられないという反応をしていたっけ」。
そう言って、鈴木吾朗さん(45歳)は苦笑する。脱サラして独立。そんな生き方も今となっては特別なことでもなくなった。それでも団塊ジュニアの世代にとって、いい大学を卒業し、大手企業に入社。地道に着実に、年齢を重ねていく雇用が当たり前と思っていた時代も確かにあった。今回、話を聞いた鈴木さんもそんな生き方を思い描いていた一人だった。
「なんとなく自分はこのまま、そこそこのポジションと収入で定年まで働いていくのだろうと。ほどほどの人生でいいと思っていたのですが、大企業からベンチャー企業への転職、そして脱サラが僕の人生を変えました」。
現在、株式会社リンクスを創業し、「レンタルCFO」としてスタートアップ企業の財務戦略をサポートする鈴木さん。商標登録もした、日本にただ一人の肩書きだ。一体どのような職業なのか?
「一社選任の財務責任者ではなく、時間貸しで様々な企業の財務を管掌しています。財務って常駐しなくてもいいけど、今ちょっとお金が調達したいから実績のある専門家に相談したい、みたいな時があるじゃないですか。だから互いに都合のいい一晩だけの関係みたいになれればいいかなと(笑)」。
CFOとは企業の最高財務責任者のこと。企業の財務戦略の立案から執行までを行う仕事だ。特に鈴木さんは資金調達を得意とし、これまで100社以上の企業のレンタルCFOとして「関係」を持ってきた。鈴木さんが、自分にしかできない肩書きを生み出すまでのストーリーに迫った。
三菱重工での経験
新卒で三菱重工に入社したとき、未来はおぼろげなからも決まっている気がした。25歳でバイヤー部門から企画経理部へ異動を希望したのも、計算ができたら重宝がられるかも……という軽い気持ちからだったという。
「そこで数字に触れてみて、細かい計算が意外と向いていることに気づいたんです」。
その頃、三菱重工では、とある新規のビッグプロジェクトが立ち上がっていた。各部署から数人ずつ選出されるプロジェクトチームのメンバーに鈴木さんは財務としての腕を買われ、抜擢。大きな責任を伴う仕事だった。
「何万円もするような専門書を購入して、勉強する日々でした。でも精緻に計算していくうちに、これプロジェクトの採算が合わないかもしれないと素朴な疑問を持ったのです」。
東大など旧帝大や難関私立卒の優秀な上司、先輩や後輩と深夜遅くまで数字を睨みながら、自分なりの仮設を立てて検証し、当時4000人以上が勤務している事業所としての方針を固めたものの、一介のサラリーマンとして自身が会社の経営判断には関われないということに大きなジレンマを抱えながら働いていたという。
鈴木さんが重工を辞めたのは、勤続10年の賞状をもらった翌月だった。
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