OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。
小林龍人のインタビューを最初から読む 小林龍人は墨筆士である。書を生業としている。ヨーロッパや中東、アジアの国々でパフォーマンスを行い、企業や店舗のロゴを筆で書く。現在42歳、書の世界に足を踏み入れたのは30歳のときだというから驚きだ。それまでは渋谷のリサーチ会社でマーケティングの仕事をしていた。
誰かを勇気付けられるような人間になりたいと、原宿・明治神宮の橋の上にレジャーシートを敷き若者からの悩みを聞く、ということを始めた。彼には何の実績もなかった。
そんな彼がたったひとつの武器に選んだのが、書だった。
自分ならどう書くだろう?という疑問が未来を切り開いた 味のあるような文字で、良さげな言葉を書いておいておけば若者たちも足を止めてくれるだろう。最初はそんな邪な気持ちからのスタートだった。
30歳で、6年勤めた会社を辞め、小林龍人は「強い男」への一歩を踏み出した。最初に挑戦したのが、路上でのカウンセリング。道端に敷いたレジャーシートの上に、自らしたためた書を並べた。
そのときの小林にとって、書は単なるツールでありデコレーションだった。道行く若者の目を引くものなら、似顔絵でもミサンガでもよかったのだ。たまたま小学生時代に書道の経験があったから。
「それで、カウンセリングというよりは“今の私を見て何か書いて”って言われるようになってきたんです。そういう路上の書家みたいな人いっぱいいましたからね。でもオレそういうんじゃないんだけどなーって思いながらも(笑)、がんばって書いて。1枚1000円とかもらうようになって。そういうつもりじゃないんだけどなーって思いがどんどん強くなって……」。
だが、独立して3年経っても目立った結果は出せずにいた。路上カウンセリングだけでなく、経営者向けのパーソナルスタイリングなど色々なビジネスに挑戦しながらも生活費はバイト頼み。周囲からは“もういいんじゃねえか?”という声がかかり始め、自分でもそろそろ潮時かなと思っていた。ただ、書だけは続けていたのだ。とくにそれで身を立てようと思っていたわけではない。ただ、何となく。
「きっと僕に書をやめさせないように、何かの力が働いたんじゃないかと。今ではそう思っています」。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』。気鋭の女性書家・紫舟の筆による題字は、シャープで繊細な中に力強さが溢れるものだった。それを見た小林は、ふと「自分ならどんなふうに書くだろう」と思った。
書いた。
「最後のハネの部分、ゲームの『ストリートファイターⅡ』の昇竜拳みたいに筆を両手で持って回しながら書いたら、そこに龍が姿を現したんです」。
のちに小林龍人のトレードマークとなる書法がこのときに生まれたのである。翌年、この書は全国展開するスーパーで干支の置物とともに販売されることになった。
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