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自分を磨くために、2年間もがく日々

「それが僕の人生の岐路です。今にして思えば、その失恋があったからこそ、っていう話なんですが、満喫の日以降しばらくボロボロでしたよ。1週間はメシも喉を通らず、一切のモチベーションを失って。彼女は僕がそこまでなっていたとは思っていなかったと思います」。

小林が目指した「強さ」には具体的なビジョンは何もなかった。

「とにかく自分を磨きたい、それだけでした。その時まで、自分のためにムキになってやったことといえば受験勉強ぐらい。そこから丸10年、ほとんど何もしてきませんでしたから、どうすればいいか全然わかりませんでした。だからとりあえず本を読みました。ビジネス書とか自己啓発書とかを目につく限り読んで、それ系の講演会やセミナーにも通うようになりました」。

まさに没頭。スノボの時代には、滑りの技術やギアの追求にはもちろん必死だった。でもそれだけでなく、単なるステッカーにかなりの費用と尋常ではない手間を投入。「他の誰とも違うボードにするため」命がけだった。失恋以降、そのベクトルはすべて自分磨きのほうを向くようになった。小林青年、強いモチベーションさえあればブレずに突き進む男なのである。

その後約2年、そんな生活が続く。ある時数えてみたら2年で600冊ほど読んでいたことがわかったという。
「強い男になれたかどうかはわかりませんでした。でも、明確な目標ができたんです。僕が参加していた講演会やセミナーって、ポジティブなパワーをくれるんですね。経営者が成功の秘訣を語り、失敗から学んだ人生訓を共有してくれる。そこには、つまづいてぐずぐずしているようなヤツは誰もいないんです。仮にそういうことがあってもすべてがのちのための糧になっている。全部“この先どうしていくか”っていう話なんです。

僕は社会に出てからそんなこと考えずにきました。誰かと酒を飲みに行っても出てくるのは職場や上司の愚痴ばかり、海や山へ週末遠出するのは楽しいんですが、月曜日になるのが憂鬱。日本のサラリーマンの多くがそうだと思うんですが、憂さ晴らしが仕事への取り組み方を改善させたり、仕事そのものを楽しく感じさせたりするわけではないんですよね。

それを2年かけて実感しました。“仕事や人生のことをこんなふうにポジティブに考えていいんだ!”っていう気づきを得ることができたんです。僕自身がいつしかポジティブな人間になることができていたんだと思います」。

それで、強く心に思ったのが「日本のサラリーマンの中に、僕みたいな人を増やしたいということ。僕自身がポジティブな考え方をみんなに伝導できるようになって、多くの人たちを元気付けられたら」。



目をキラキラ輝かせ、力強く小林は語る。そのテンションに危うく忘れるところだったが、この失恋後の自分磨きの時期も小林はマーケティングリサーチ会社に勤務していた。依然として、若い女性社員とおばちゃん調査員のみなさんとのあいだを取り持つ業務を行なっていたのだ。

ポジティブシンキングと燃えるような未来へのモチベーションは全身に漲っていた。だが、今いる仕事の場所でそれが実践できるとは到底思えなかった。

「ちょうど僕が担当していたメインクライアントからの仕事がストップし、業務が暇になったので本ばっかり読んでたんです。マーケティングリサーチの本。でもそこで思いました、オレ何やってんだろ? って。会社の業務に関わっているからマーケティングリサーチの本を読んでるだけであって、自分の心に照らし合わせてみると、そんな勉強なんにもしたくないんですね(笑)」。

まったくやる必要もやる気もないことをこなしながら、やる気を飼い殺しにしていることに気づいたのだ。

「それで発作的に会社を辞めました。2006年7月31日、自分の30歳の誕生日でした。僕ってスノーボードの時も、結構ヤバそうなギャップとかあったらいの一番に飛んじゃう方なんですよね(笑)。飛んだ僕の様子を見てみんな後からついてくるかやめるか決める、みたいな。まさにそれを人生でやっちゃったのが、このときです」。


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