転職するも、実務は全然ダメだった結果、4カ月で退職。その後、ある有名なシューズショップに職を得るも、1日中「いらっしゃいませ」を言い続けるスタッフたちを見て「こんなことをするために、浪人して大学まで出させてもらったわけじゃない!」と1日で退社。
「何のスキルもないし、何も勉強してこなかったのに、何を言ってるんだ……って感じですよね(笑)。でも当時は“オレのやる仕事じゃない!”とか生意気にも思ってたんです。でもそれで、“だったらオレのやる仕事ってなんなんだよ”ってようやくきちんと考え始めたんです。もともとファッションは好きだし、結構スノーボードには世間より早くハマった。流行を追いかけるのが好きだな、と。流行をみんなに知らしめるのも好き。それを仕事にするには何がいいか考えた結果、マーケティングリサーチだ、と」。
そして新卒の年の9月、都合3つめの職場として渋谷にある外資系のマーケティングリサーチ会社に就職。小林は大手クライアントのトイレタリー商品の市場調査を担当することになった。
仕事内容は、こんな感じ。
調査対象の商品と調査内容が営業部から届くと、総勢200名の女性調査員たちからチームを結成するその商品の調査に適性を持つメンバーを選抜し、調査内容や調査方法をレクチャーするのである。そして彼女たちが集めてきたデータを集計して提出する、という流れ。
「仕事は大きく二段階に分かれるんですね。前半は調査員のみなさんのアテンド。後半は社内での事務処理作業。圧倒的に前半が得意でした(笑)。僕と同じ立場の会社側の女性たちと、おもに主婦層の方からなる調査員のみなさんの折り合いがあんまり良くなかったんですね。社員の女性のなかにはキツイ言い方をする人もいて、調査員のおばちゃんたちからすると、実際に調査をしに現場に行くわけでもない自分の子供ぐらいの歳のスタッフからキツイ言い方で諭されるのが不愉快だったんだと思います。
そこで20代男子という、どちらでもない属性の僕が、両者のあいだに入って潤滑油のような役割を果たせていました。実際“小林くんがいるからオフィスに来やすくなった”なんてよく褒めていただきました。でも実務は全然ダメ(笑)。僕の直属の上司はド理系な感じの人で、それはもうよく叱られました。
会社は渋谷警察の近くにあって、毎朝六本木通りを通うんですね。スーツ姿で颯爽と坂道を歩く時間が心の拠りどころでした。“オレってデキる男だぜ!”みたいにテンション上げながら出勤するんですけど、いざオフィスに着くと速攻で上司に叱られるという(笑)」。
これまでのところ、良くも悪くも小林は特別な存在ではない。特別な才能の片鱗を見せてくれるわけでもないし、特別にダメなヤツでもない。学生気分の抜けないまま、なんとなく社会に出てきた。みなさんの周りにもそんな20代男子、普通にいるでしょう? このころの小林は、そのひとりだった。
「やっぱり基本ナメてたと思います。正直、仕事自体に充実感はなくて、むしろ上司に叱られてずーっとモヤモヤしていて。改善して仕事で取り返すわけではなくて、仕事以外の部分で発散するという。充実していたのは、アフター5の合コンや飲み会、週末の波乗り、新島とか行ってましたね」。
「あと、冬場はスノーボード。出勤のスタイルも、最初はスーツだったのがどんどんカジュアル化していき、最後には腰履き(笑)」。
そんなサラリーマン生活は、6年続いた。4年目に起きた、人生を見つめ直すほどの大きな出来事がきっかけとなり、小林はぬるま湯から出ることを決意するのである。
それは仕事とは一切関係のない事件だった。
「ええっと、失恋したんです」。
【Profile】小林龍人 1976年、埼玉県狭山市生まれ。大学卒業後、外資系マーケティングリサーチ会社に就職。30歳で退職し、ひょんなことから20年ぶりに筆を持ち、書の道に入る。独自の手法で、人々に勇気と元気を与える書を生み出す墨筆士。国内外で数多くのライブパフォーマンスを行い、店舗や企業イベントなどの題字も認める。インスタグラムはこちら:www.instagram.com/ryujinartist 稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文