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燃え尽き症候群から、滑り三昧の日々へ

普通にしてさえいれば、普通に上がれるところを落ちてしまって大いに落ち込んだ。だが、即切り替えた。高校を卒業する前から猛勉強を決意。「せっかく落ちたのだから、どうせなら、もっといい大学に行けばいいのだ!」と。

「東進ハイスクールで、浪人決定した3月から猛勉強ですよ。そういうところは僕、切り替えて気合とノリでいけるんです。結局、翌年2月まで、1日10時間以上の勉強は欠かしませんでした。それで入れたのがT大学。付属の上の大学よりはよかったんですが、1年間、10時間勉強した身としてはなかなか微妙な結果で……。もう1年浪人することも考えたんですけど、もうさすがにモチベーションが持たなくて、燃え尽き症候群といいますか(笑)」。

そのまま、その大学に入った。

そして、燃え尽き症候群を見事に実践した。1年間の苦行の果てにたどり着いた大学では、そりゃもう遊ぶのである。そりゃもう、あのスノーボードである。冬中、山にこもるという生活を4年続けた。1年の冬は白馬。旅館でいわゆるリゾートバイトをしながら、隙間時間に滑る。2年目は御嶽でインストラクターのアルバイト。3年、4年は新潟県・苗場あたりに仲間とアパートを借り、冬中滑りまくった。



こちらが当時の小林である。

滑りを楽しむだけでなく、スタイルにもこだわっていた。ボードはがっつりステッカーチューン。そのまま貼るのではなく、カットしたりコラージュしたりしてオリジナリティを追求していた。ステッカーだけで万単位のお金を使っていたという。

ちなみに音楽も大好き。当時ハマったのはメロコア。今も好きなのはハイ・スタンダード。シーズンオフは街でバイトをして、冬に一気に吐き出すというライフスタイルを展開していた。なお、街でのバイトで楽しかったのは、池袋にあるデパートのエレベーターボーイだったとか。え、ボーイ?

「ボーイです(笑)。昼間は普通にエレベーターガールなんですけど、レストラン街が夜まで営業しているので、そちらのお客様対応で、夜間は“エレベーターボーイ”。夜になると酔ったお客様もいらっしゃいますし、“ガール”とエレベーターという密室でふたりきりになったりするのは危険ですので、“ボーイ”が請け負うわけです。そのバイトがまた、僕らの仲間みたいなチャラいヤツばっかりで、なんかメロコア好きが集まっていて。頭にメッシュ入ったりロン毛だったり。それがデパートのエレベーターボーイですからね(笑)」。

小林によると「ナメた感じでやっていた」という。今振り返ればそう思うだけで、当時はそうした自覚はなかったに違いない。とにかくノリと勢いで、楽しい時間を過ごそうとしていたのではないだろうか。だって……さらっと流しましたが、バイトでお金を稼いだ結果、4年の冬もみっちり雪山で過ごしているのだから。

だが遊びは遊び。スノーボードは大好きだったが、どうしてもそれで身を立てていこうというような強いモチベーションはなかった。

「正直、就職のことなんて何も考えていませんでした。ただ、行くならスノーボード業界がいいかな……っていう感じで。結局、スノーボード学科があるスポーツ系の専門学校に就職が決まりました。高校の進路部なんかに電話をして、次年度の入学を促進する営業活動がおもな仕事。でも僕の入った学校のプログラムが他校より劣っている気がしていて、なのに一所懸命“うちはいいですよ!”って営業することに違和感があって、仕事に全然力が入らなかったんです」。


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