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鎌倉で禅と波に身を委ねる日々

昨年末から鎌倉に居を構え、創作のための理想的な環境づくりを本格的に実践し始めた。

円覚寺に日参し、江ノ島では龍神の息吹を感じる。自宅では般若心経と観音経を唱和。毎日、瞑想の時間を設け、いい波が立てばサーフィン。波乗りは小林にとって、20代前半からハマり続けている遊びだった。だがいざ、「日々魂を磨く」と決意して以降、格好の精神修養の手段にもなっている。かのサーフレジェンド、ジェリー・ロペスは奇しくも言った。「サーフィンは禅である」。

海と一体となり、己を鍛えることが、スピリチュアルヘルスを健全にするのだ、と。

「円覚寺はホント、すごいです。世界に禅を広めた鈴木大拙翁が坐禅修行した場所で、その精神性が伝わってくる気がします。ホント、仏のパワーを感じます。きちんと創作に取り組むためのアトリエと、サーフボードをいじれるスペースも持てるようになったのが大きいですね」。

小林龍人は、とにかく「これ!」と決めたら、全力投球の男なのである。良くも悪くも他の何も見えなくなり、周囲が呆れることもしばしば。書に関してはこの3年ほどがそんな感じ。書いて勉強して試して書いて勉強して試して、それが少しずつ実を結んできたのかもしれない。

海外だけでなく国内でのパフォーマンスの機会も増え、題字やロゴなどのオファーも来ている。もちろん、書家としてまだ一流のステージに立っているわけではないが、毎月お金の心配をすることなく、書一本で生活が成り立つ状況になっている。

「でもそれは、周囲のみなさんの助言が大きいと思います」。

“周囲”とは、彼の書家としての活動の顧客だが、多くが会社経営者やコンサルタントたち。小林龍人という男、なぜか実力者に可愛がられる人生なのである。

「去年なんですが、普段応援していただいている方々に書の値段を聞かれることがあったんです。“相場”もよく知らないので、適当につけてきたんですが、みなさん口を揃えて“安すぎる”と(笑)。うれしかったですね。だってそれだけ僕の書に、価値を認めてくれている、ということですから。それでみなさんのアドバイスに従って、値段を上げさせていただいたんです」。



赤裸々に話してくれるのが面白い。「値上げしたことでオファーが減るんじゃないかとビクビクもしてたんですけどね」なんて告白も、非常に人間的だ。

ともかく“値上げ”は障害にならなかった。それはたぶん、アートが生活に直結したものではないから。ブランド同様、値段が上がっても欲しい人は買う。どれだけ高かろうと、それは他のものでは代替が効かないのだ。

「そうなんですよね。“本当に気に入って、それが欲しい、それを作った人間を応援したいと思う人って、値段は関係ない”っていう話を聞いて、勇気が出ました。僕の書の世界観とか、龍とかが、そうして評価していただけるようになってきているとしたら、本当にありがたいですね。値上げしたのなら他の人のにしようって思われると切ないですけど(笑)。僕自身、ブランドということについて無頓着ではなかったんですが、自分自身のこととなると、そこまでの自信は持てませんでした。それを後押ししていただいたのは、本当にありがたいと思っています」。

小林龍人は、書家になっておおよそ12年。経済的にも、作品に取り組む環境という意味でも、昨年から少しずつ変化が訪れている。この先さらにブーストがかかる予感がある、と本人も言う。

ここに至るまでの小林の人生は、「とにかくガムシャラに何かをやる」→「人生に大きな影響を及ぼす人と出会う」の繰り返しだった。影響を受けるだけでなく、メチャクチャ助けられてきていたりもする。そして今は“侍”にして“墨筆士”。己の書をより良くするために、日常をより良く生きようと試みる男。

だが10代だった25年ほど前に脳内を満たしていたのはヴィンテージジーンズとナイキ エアジョーダン。
次回は長く続いたチャラ男時代を振り返る。

【Profile】
小林龍人
1976年、埼玉県狭山市生まれ。大学卒業後、外資系マーケティングリサーチ会社に就職。30歳で退職し、ひょんなことから20年ぶりに筆を持ち、書の道に入る。独自の手法で、人々に勇気と元気を与える書を生み出す墨筆士。国内外で数多くのライブパフォーマンスを行い、店舗や企業イベントなどの題字も手掛ける。
インスタグラムはこちら:www.instagram.com/ryujinartist

稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文

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