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帰国後も試行錯誤の日々。目指すは本場超え!



エジプトは都合2カ月滞在し、7月に帰国。そこから、習得したレシピをもとに、本場のコシャリの味の再現が始まった。厨房で見聞きした謎食材の正体を探りに食料品店を行脚したり(ちなみに、クズバラはコリアンダーだった!)。日本で手に入らないパスタやエジプト産トマトなどを求めて大使館や、エジプト人経営の商社に相談したり。

ひとりではなく、プロの料理人たちの協力も仰いだ。まず、妻の義理にお兄さんが京都・祇園で割烹を経営する料理人だった。また、妻の仲のいい友だちが京都の老舗中華料理店の料理長を務めていた。と、まぁほぼほぼ妻のコネクションではあるが、プロたちは須永さんのコシャリ作り、とくにソースの再現に、大きな力となってくれた。

「本当に色々教わりました。例えば“もう少し酸味を強くしたいんですけど”みたいなことを電話で聞けるんですよ。それにいちいち“アレ入れたらどうかな?”って教えてくれる。“アミノ酸とイノシン酸とグルタミン酸を何対何で混ぜると旨味が増すよ”とか、それに最適な食材とか。僕は川崎を拠点に準備していたんですが、京都に帰る際には自作のソースを持参して試食してもらったり……」。

そうして須永さんのコシャリは、完成した。

「プロの協力は得ていますが、何しろ本場で食べてきているのは僕だけなんで、判断を下すのは僕しかいません。現地とは違う材料を使いながら、試行錯誤を繰り返して現地の味と遜色ないものができたんで、とりあえずゴーサインを出しました。とにかく早く提供したかったんです」。
エジプトから帰国して3カ月が過ぎていた。

「最終的には本場よりも美味しい、俺のコシャリを目指してはいます。それで、牛丼みたいにいつでもどこでも食べられるような存在にしたいと思っています。でも、それにはまず“コシャリとは何か”を知ってもらわないといけない。仮にアレンジするにしても、本物を提供したうえでそこからアップデートしていかないと、ナンチャッテになってしまうと思うんです。だから最初は愚直に、自分がエジプトで味わってきたコシャリを再現するところからスタートしたんです」。

2015年10月、コシャリは完成したが、それを提供する場所も手段もなかった。実はコシャリ作りと並行してキッチンカーの計画も進行していたのだが、それは次回のお話。

一刻も早くコシャリを提供したいと考えた須永さんは、ある作戦を実行に移す。ちょっと無謀でトリッキーな、でも須永さんらしい作戦……それもまた、次回のお話。
 
【Profile】
須永 司●1983年生まれ。同志社大学卒業後、電子部品メーカーに勤務。2016年に「エジプトめし コシャリ屋さん」を開業。キッチンカー1台からコシャリの日本への定着を目論む。


稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文

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