ちなみに、ニーチェを推す理由を聞いたみたところ、予想以上に熱い回答が返ってきた。
「社会への反抗心や諦観から生まれるニヒリズムという思想は、今も昔もどこかに漂っています。ニーチェが生きた時代も同じように、大衆がニヒリズムの波にのまれていました。でも、ニーチェだけはその反抗心すらも超越して、生をとことん肯定しようという境地に達したんです」
後ろで聞いていた奥さんが「めんどくさ」とつぶやきながら、優しく笑った。
アニーさんのいいところを教えてくださいよ。
自分から「気が利く」というアニーさんを制して、奥さんが口を開く。
「この子がいるとお客さんも私たちも元気になれるんですよ。とにかく、底抜けに明るい」
なお、このご夫婦は2012年に世界一周食の旅に出発。1年4カ月をかけて5大陸、47カ国を巡ったのちに、ここ東京で世界のビールと料理を提供する店をオープンさせた。
旅の話に耳を傾けていると、アニーさんがおもむろに自撮りを始めた。「あ、あれはお店の情報を動画にしてインスタに上げているんですよ」とマスター。
「こんばんは。大事なニュースです。年内はなんと今日と明日で営業終了! でも、ヒチカケファンの皆さん大丈夫! 新年は4日から営業しますよ〜」
楽しそうに働くアニーさんは、「森安彩火」という芸名で女優活動も行なっている。
「とにかく、ずっとひとりで遊んでいる子供だったみたいです。拾ってきた石に生命を宿したうえで、イルカ陣営とライオン陣営に分けておままごとをしていたのは覚えています」
「私、飽き性だからバイトもすぐに辞めちゃうんですが、ここだけは自分でも驚くほど長く続いています」
そんなアニーさんは、自分の生誕祭も大好きなこの店で行った。
「ガチの誕生日にです(笑)。自分の半生を皆さんに知ってもらおうと、昔の写真をプリントして持ってきました」
ここで常連の女性がスマホの画面を見せてきた。
「アニーは絵も上手なの。これはアイウエオ作文のような『折り句』のコンテストで私を描いてくれたもので、1000作品ぐらいの中から佳作に選ばれたんですよ」
じつに平和な店である。その片鱗はトイレにもあった。
さて、そろそろお暇をしようと思っていたところに、マスターから「最後にあれを見てもらいなよ」という言葉が。
ビールおじさんに憑依したアニーさんが「ワシと乾杯すると幸せになるんじゃよ」と言ってくる。自分の幸せを祈願してありがたく乾杯させていただいた。
「この子がいると元気になれる」という奥さんの言葉を実感したところで、後ろ髪を引かれながらお会計。もらった領収証をズボンのポケットにねじ込み、店を出た。家に帰ってから何気なく確認すると、アニー劇場はまだ終わっていなかった。
読者へのメッセージにもたっぷりの愛が注がれる。
【取材協力】 Hitch×kakeru*(ヒッチとカケル) 住所:台東区上野6-2-2 ライフビル2F 電話番号:070-1305-1254www.facebook.com/hitchxkakeru/取材・文=石原たきび