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「今、ゴルフアカデミーには生徒さんが140人います。ボランティアに近いかたちで子供たちも教えてるんですよ。ここにはやはり強い思いがあって、自分が年取ってから始めた分、間に合わなかったところを子供たちに教えてあげたいなと思っているんです。無理強いせず型にはめず、幼いころから遊びのなかでボールを打たせることで感性を磨いていきたいなと思っています。僕にもっとも足りなかった部分ですから(笑)」。
……と、レッスンの子供たちが姿を現した。なるほど久古さん、雑談しながらギャグを飛ばしながら好きに打たせている。そして小学生の女の子の打つボールは心地良い音とともにきちんと前に飛んでいる。

「最初は全然触れなかったのが、芯に当たるようになってきましたね。自由に小さく打たせて、この後どんどん大きなクラブが使えるようになればいいと思います」。
そして本業。不動産業のほうのビジョンは……。
「実は勉強し直しです(笑)。ただ東京オリンピックまでの期間、やるだけやらないといけないなと思っています。昔よりはかなり頭が固くなっている一方で、営業的なトークなんかはイケると思っているので、ガンガン外回りをやりますよ。結局、不動産業は、親父の残した仕事なので、いまさらながらですけど長男として、少なくとも自分が引退するまでは継続させていきたいと思っています」。

ゴルフのビジョンを尋ねると「人の一生分やったので、もう遊びで十分です」と答えた。でもプロになったからこそ体験できた輝かしい瞬間は確かにあったのだ。
プロになって3年目、マンデートーナメントを勝ち抜いて初めて出場にまで漕ぎ着けた試合があの「フジサンケイクラシック」。結果は予選落ちだったが、有名プロたちと一緒に名門コースに立ち、溢れかえるギャラリーの前でのプレーは今も記憶に新しい。
当時、トーナメントは静岡県伊東市の「川奈ホテルゴルフコース富士コース」で行われていた。川奈灯台に向かって打つ12番ホールのティーグラウンドに立ったときは、体が震えたという。
「自分が求めていたのはこういうことなんだ! と実感しました。またこの場所に立ちたい! と強く思い、それまで以上に練習に打ち込むようになりました。そして幼いころからなんらかのプロスポーツの選手になりたいと思ってきたんですが、実際になれてよかったなあ……って」。
【Profile】
久古千昭さん
1965年、千葉県成田市生まれ。26歳で初めてクラブを握り、脱サラの末プロゴルファー研修生を経て31歳でプロテスト合格。現在、「梶川・久古ゴルフアカデミー」主宰。プロゴルファーでありつつ不動産業を営む。
 
稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文


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