OCEANS

SHARE

「プロになって、最高の経験は最高の試合に出られたことです」。

今、実は久古さんの本業はプロゴルファーではない。2016年2月に、お父さんを突然心筋梗塞で亡くした。まだ現役で不動産業に携わっていたさなかの急死だった。
「正直、プロの世界は厳しいとしか言いようがないですね。競技で食っていけるのはたぶん30人ぐらい。ゴルフに興味がない人でも名前を知ってるような超メジャーなゴルファーたちがそうですね。地方で行われるトーナメントに出場するには、交通費や滞在費などの経費も自分持ち。フルシーズン戦うとなるとおおよそ1000万円ぐらい必要です。それを賄うには年間獲得賞金が少なくとも2000万円ぐらいないと難しいですね」。
プロとしてトーナメントで勝負したのはプロテスト合格から10年あまり。その後は、おもに個人レッスンを行なって暮らしてきた。当時のクライアントには、誰もが名を知る超著名な起業家もいたという。
一線から身を引くに当たって、久古さんには確固たる思いがあった。
「実際にプロの場に身を置いて勝負をするなかで、明らかに自分に足りないものが見えてきたんです。それは感性。子供の頃からずっとゴルフをやってきた連中に比べると、大人から始めた者には感性がない。発想がないんです。試合中に陥った局面をいかに攻略できるか。結果、技術はあるんです。自分の持てる技を駆使すれば、局面は打開できる。にも関わらず、自分の技術をどんなふうにそこで使えばいいか、その発想が出てこないんです」。

プロになって一流のプロと一緒にコースを回るたび、痛感させられた。あるホールを攻略するのに、自分の持っているイメージをはるかに超えたメソッドを、一流のプロは繰り出してくるのである。ああ、そうすれば良かったのか! そんな思いが募るばかり。
「それは血肉の生み出す感性だと思いました。子供の頃からゴルフをしてきた者だけが獲得できるものじゃないかと。それが見えてきたことで、“俺には超えられないところだよな”と思うようになったんです。プロテストを目指していたとき、自分の長所は伸ばしたという自負はあります。ドライバーの距離に関しては日本でもトップレベルだと思います。あとは短所を引き上げていく作業。ただそれをするには歳を食いすぎちゃいましたね(笑)」。
お父さんが亡くなったのは、かつてレイクウッド総成カントリークラブで研修生の先輩だった梶川武志プロと一緒に「梶川・久古ゴルフアカデミー」を立ち上げたタイミング。2016年3月1日の開校の直前、2月25日のことだった。
「アカデミーが始まったのは親父の葬儀の最中でした。親父1人で不動産業をしていたので、とりあえずその残務整理に僕の姉が入り、僕も手伝うようになりました。アカデミーのほうは、この2年でようやく軌道に乗ってきたので、実は今年の11月から不動産を本業に据えることにしました」。
まさにそのタイミングで、我々が取材に伺った、ということになる。


3/3

次の記事を読み込んでいます。