OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち―
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。
現在53歳の久古千昭はプロゴルファー。26歳のときに初めてクラブを握り、5年後にはプロテストに合格していた。なぜそんなことができたのかは、今もってわからない。無責任な言い方をすれば、彼は天才だったのだ。にも関わらず、プロゴルファーは彼のゴールではなかった。今、彼は「第二」ではなく「第三」……もしかしたら「第四」ぐらいの人生を歩んでいるとも言える。彼がまず目指したものは、バイク乗り。板前。不動産業。
久古千昭のインタビューを最初から読む現在53歳のプロゴルファー・久古千昭は、おおよそ35年前バイクのロードレーサーを目指していた。
187cmの身長を生かして高校ではバレー部、アタッカーとしてそこそこ活躍しながら一方でバイトざんまい。体育会系の部活とバイトをどうやって両立するのかは謎だが、きちんと貯金をし、レーサーレプリカを手に入れて毎週成田ニュータウンの造成地でコーナーを攻めていた。部活とバイトに加えて、いわゆるローリング族までこなす……というか、むしろそれにどっぷりハマるなんて、本当に謎である。
だが、話を聞いていると、最後にはきっと、まあこの人ならばやれるだろうと思えるようになるのである。
インタビューの
1回目で久古さんは、「高校時代の名簿に卒業後の進路が記されていない」と言った。だが厳密にはそうではなかった。公的に決まっていなかっただけで、実は当時、彼には行く先がきちんとあったのである。
「あるレーシングチームに所属したんですよ」。
……といっても、成田ニュータウンのローリング族の少年がいきなりスカウトされたわけもなく、なんとバイク雑誌に「レーサー募集」という広告が出ていたらしい。
「そのチームはバイクのパーツを作ってる会社が主体になっていました。そういうケースはよくあるんですよ。船橋にある会社で寮もあって、会社の仕事を手伝うかわりにレースをサポートしましょうと。会社にある工作機械を使って、レーサーは自分のためのパーツを作ってもいいんですよ」。
高校を出て即バイク乗りを目指した息子に両親は、特に何も言わなかったという。
「あんまり帰ってませんでしたしね(笑)。友達にすごい金持ちのやつがいて、家を何軒も持ってたんです。だからそいつの親の持ち家に結構泊まってました」。
そして少年はチームの門を叩いた。レーサーになりたい人にはなかなかいい条件に思えるのだが……。
「でしょ? でもね、仕事の手伝いとか言いながら、朝6時から夜9時まで労働(笑)。パーツは自由に作れるとかいってもそんな時間ないし、寮とかいっても六畳1Kに3人で住まわされてました。それで給料3万円ですよ! ソッコー逃げ出しましたよ(笑)」。
そして次に職を得たのが喫茶店。時間が自由になるという条件で探した仕事だった。雑用だけでなく、カレーやサンドウィッチなどの調理も担当し、そこそこ機嫌よく働きながらレースを続ける生活を送っていたが、お店は1年で潰れてしまう。
「その後、板前になることにしたんです。飲食店がいいなあと思って。だって全然違う業態にいくと、せっかく喫茶店で得た経験が無駄になるでしょ? ゼロから仕事を覚えるよりは勝手知ったる分野のほうが早く仕事に馴染めると思ってたんです」。
もちろん、バイクに乗るための時間を効率良くひねり出すためだ。だが、完全に誤算だった。
「喫茶店はバイト感覚ですけど、板前って修行なんですよね(笑)。だから仕事には慣れても、全然休めない。そもそも職人的な世界は嫌いじゃなかったし、働いてるうちに“このまんま板前を続けていってもいいかなあ”ってうっすら思うようになってたんですね。バイクとは両立できなくなっていて、まあ考えたら当然なんでしょうけど、かなり板前のほうが“主”。バイクのほうはどんどん“楽しみ”になってきたんです」。
それでもコツコツとバイクに手を入れながら、筑波や菅生などでレースは続けていた。だが久古さん、ここでレーサーとして致命的な欠点を自身が持っていることに気づくのである。
「僕ね、デカすぎるんです(笑)。 今さら! って感じですけど、自分でわかるまで時間かかりました! カラダがデカイと慣性が強く働くから全然ブレーキが効かないんです(笑)」。
世界のレース界にも高身長のライダーはいる。長い手足でマシンを制御しやすい一方で、久古さんのいう慣性の法則に加え、長い手足がカウルからはみ出して空気抵抗が著しいのも弱点になる。概して小さいライダーが活躍するケースが多く、現在、バイクレース界のF1・MotoGPナンバーワンといわれるスペインのマルク・マルケスなどは、身長168cm。彼はこの5年で4回タイトルを得ている。閑話休題。
バイクはままならず、だがあきらめきれず、板前もまたままならず……久古さん、22歳になっていた。お父さんから「帰ってこないか」といわれたのは、その頃。
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