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2018.11.26

ライフ

“負けず嫌い”がゆえに、東京パラリンピックを目指すことになった男【前編】

車いすバドミントンの競技で活躍する小林幸平さん
「諦めの悪さで、ここまで来れたようなもんです(笑)」。
ユニフォームに身を包み、そう話すのは小林幸平さん(39歳)。
車いすバドミントンの競技で活躍する小林さんは、現在、ブリヂストンの社員として福岡の工場に勤めながら、アスリートとしてバドミントン漬けの日々を送る“サラリーマンアスリート”だ。
小林さんの務める甘木工場では、トラックやバス用タイヤの生産を主に行っている。小林さんは、社内システムの調整や改善を担当。出社して業務をこなし、午後はバドミントンの練習を行う。土日は、基本的に1日バドミントンの練習をして過ごすという。
輝かしい戦績を誇る小林幸平さん
日本障がい者バドミントン選手権(2016年)シングルス準優勝、パラバドミントン コロンビア インターナショナル2016シングルス準優勝、世界ランキング18位と輝かしい戦績を誇る小林さんだが、車いすバドミントンを始めたのは、わずか3年前。36歳のときだ。
交通事故に遭い、車いす生活となってから、サラリーマンアスリートになるまでの軌跡を追った。
 

17歳で事故に遭い、車いす生活に…… 絶望から前進へ。

1979年、福岡県朝倉市生まれ。幼い頃から体を動かすことが大好きだった。剣道に水泳、バスケットボールなど夢中になるスポーツはたくさんあったが、特にアスリート願望はなかったという。ただ、当然のように、自分はデスクワークよりも体を動かすような仕事をしていくのだろう、そうぼんやり思い描いていた。
17歳で交通事故に遭い、脊椎を損傷。当時の記憶はハッキリしていない部分も多い。
インタビューに応える小林幸平さん
「2カ月ぐらい集中治療室にいたらしくて、断片的な記憶しかありません。なんとなくクルマの下敷きになっていたような……。目が覚めたら病院で、家族がまわりにいた。『もう歩けないよ』と、医者から聞かされたことは覚えています」。
入院中は看護師や家族の手助けもあり、そこまで辛さは感じなかった。現実を突きつけられたのは、1年半の入院生活を経て、退院してからだった。
「今まで当たり前にできていたことが、できない。周りの目が気になって、かっこ悪い、恥ずかしい。車いすの自分を、そう感じていました。苦しくて、辛くて、死んだほうがラクなのかもと思ったりもしました」。
当時の気持ちを推し量ることは難しいが、本人の「退院してから2、3年間、生産性のない時間を過ごしている時期があった」という言葉からも、その絶望は伝わってくる。自分の障がいを受けいれることができない日々。それは20歳前後の若者にとって、当然の葛藤だっただろう。
そこから、どのように前を向けるようになったのだろうか。
そう尋ねると、「人間って苦しいことばかりでは絶えられない生き物なんだと思う」と呟いた。苦しみを味わったからこそ、絞り出せる言葉だった。
「下を見ててもキリがない、前を見るしかないと思った」。


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