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第2章
リーマンショックが浮き彫りにしたデニム業界の危機

「プレミアムデニム」が確立したデニムのファッション化。これを後押しするように、日本では、2001年の「レオン」創刊や’05年の「オーシャンズ」創刊を筆頭に、メンズファッション誌が増加、また’03年には、やがて勢いを増す伊勢丹メンズ館がオープン。デニム文化が大きく盛り上がったのは間違いない。が、盛者必衰のことわりにして、このムーブメントにも陰りが見え始める。
オーシャンズにとってずっと欠かせない存在のデニム。創刊から’08年頃までデニム特集を振り返ってもさまざまな変遷が見てとれる。
「世界を見れば、’05年あたりから斜陽となり、’08年のリーマンショックの頃にはすでに『プレミアムデニム』は暗黒時代に突入していたと思います。デニム関連の企業の倒産が増え、特に西海岸の加工関連企業はバタバタと倒れ、今はさまざまな加工の担い手が不足しているほど。生産拠点の中国シフトも始まり、コスト面でも効率化が進みました。結果、差別化すべき加工技術そのものが均一化、同一化してしまったことで、コスト勝負に拍車がかかるという負のスパイラルが生まれたといえます」。
衰退するデニムに取って代わったのが、ニットやジャージー製品だと村上さんは指摘する。
「世相が暗くなると、せめて洋服には幸福感を求めようと、消費者 は快適性やリラックス感を求め始めます。お世辞にも心地良いとは言えなかったデニム生地は、自然と敬遠されていきました。ON・OFF兼用などのアイテムが出始めたのも、この頃ですね。ジャージー素材のジャケットや、カーディガンとジャケットのハイブリッドなどがとても支持されました。当然縮小傾向のデニムに対する要求は、コンサバティブにシフト。セレクトショップや百貨店でも、デニムブランドの数はみるみるうちに減少していきました」。
ON・OFF兼用やイージーウェアは’05年から始まったクールビズの登場とも浅からぬ関係にある。オフィスでデニムが市民権を獲得し始めたのもこの頃。クールビズもデニムのコンサバ化を大きく後押ししたといえそうだ。
「’12年、D&Gが終了したニュースからは『プレミアムデニム』黄金時代の終焉を強く感じました。それでも一部のブランドは気を吐いて、イタリアならディーゼル、西海岸ならAG、モードはディースクエアード。デニム市場においては1つのジャンルにいちブランドのみ、そんなムードがありました」。
「一方でこの頃、新しいデニムの価値を模索するデンハムのような、これまでの文脈と異なるブランドも頭角を現し始めます。また、この時代の後期に現れたスウェット調デニムにも、閉塞感を打破する可能性を感じました」。
’08年にアムステルダムで創業したデンハム。「プレミアムデニム」黄金期の終わりは、一方で新たな価値観、新たなスタイルを持ったこのようなブランドが多くスタートしていった時期でもあった。
世界の経済的な潮流の影響も大きく受けたであろう、デニム産地でもある日本のコンサバティブなデニム作りはどうだっただろうか。
「海外のデニムブランドの生産を請け負っていた日本の人たちも、仕事の口が如実に減って本格的に“ヤバイ”状況に。どの市場もそうですが、こだわりだけでは物が売れない事実に直面すると、それまでの価値観を超えた物作りが生まれる傾向がありますね。それはデニムも同様。今、不況に対するリアクションとして、岡山の人たちが新しいデニムの流れを作っています。これはデニムの恒常的な課題を改善することによって、新たな価値を模索する動きです」。


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