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2018.10.31

ファッション

「プレミアムデニム」は新章へ? 平成最後に振り返る21世紀デニム現代史

「プレミアムデニム」。この言葉は21世紀に入ってから現在までのデニムを象徴するキーワードと言えるだろう。
僕らのデニム選びといえば、人気モデルの品番、ディテールの名称や仕様の変遷、ブランドの背景などウンチクはこれでもか! というほど溜め込んでいて、それをもとに自分にフィットする1本を選んできた。
そんな僕らのデニム選びを再検証する本連載だからこそ、改めて21世紀のデニムをおさらいし、NOWなデニムをしっかり把握しておきたい。
「WWD japan.com」編集長 村上 要さん
そこで、オーシャンズ世代にして、東京だけでなくパリ、ミラノ、NYでのコレクション取材歴10年以上のファッションの専門家「WWD japan.com」編集長の村上 要さんを迎えて、これまでの、そして、今の「プレミアムデニム」を考えてみた。
 

第1章
「デニムが“ファッションアイテム”になった2000年」

労働者の作業着として生まれた19世紀、大衆の普段着として世界的に愛された20世紀を経て、現在は21世紀。新世紀に入ってわずか18年だが、その歴史を振り返ると、デニムはその存在を大きく変えてきた。
「2000年代のデニムが、それまでに比べてどう違うかといえば、“ファッションアイテム”になったこと。普及した20世紀においても主要な普段着でしたが、もともとは作業着という感覚が強かった。1990年代あたりからレディスを中心にファッションとしても注目され始めましたが、まだデニムの主流ではなかったと思います」(村上さん ※以下カッコ内はすべて)。
1950年代は不良の象徴だったし、’60〜’70年代はカウンターカルチャーの主役。本来はファッションではないデニムを“あえて普段着とする”姿勢こそが格好良かったのだ。 (c)getty
カルチャーと徐々に結びつきをはじめ、モードブランドでの登場も時折あったが、現代の隆盛には及ばない。やはり変革のターニングポイントは2000年前後にあったと指摘する。
「この時期、2つの勢力がデニムの流れを大きく変えたように思います。ひとつはイタリア系デニム、もうひとつは西海岸系デニム。この2大勢力が『プレミアムデニム』の名のもとでデニムシーンを盛り上げました。値段が急に倍以上になったのもこの頃。それまで身近な日常着だったものが、ラグジュアリーなファッションアイテムとしても扱われるようになった。1990年代末から2000年代前半は、そんな時代といえるでしょう」。
21世紀の始まりとともに登場した「プレミアムデニム」。具体的な特徴はどのあたりにあるのだろう。
「イタリアのデニムは、ディーゼルを筆頭にエナジーやシックスティ、その後のヤコブ・コーエンなど。最大の特徴は、イタリアらしい美しいシルエットです。従来なかった“美脚”をコアアイデンティティに、本当にさまざまなブランドが現れましたね(笑)」。
「もう一方の西海岸デニムは、当時のLAを席巻したデニムデザイナー、アドリアーノ・ゴールドシュミットを中心に人気が広がりました。このゾーンの特徴は何といってもリアルなヴィンテージ加工ですね」。
オーシャンズでも継続して追いかけているAGのデニム。こだわりの色落ちやペイント加工など、プレミアムな加工デニムというジャンルを開拓していった。
デニムがファッションとして花開いた2000年代。今僕らが注目するシルエットや加工、そして世界観が、デニムに「プレミアム性」を与えるようになったのだ。
その当時、アメリカのファッション記事を翻訳する立場にあった村上さんが、それを象徴するエピソードを述懐する。
「当時アメリカのWWDで急に、デニムデザイナーの交代劇や、後任の憶測記事などが増えだしました。今のモード界における、いわゆる“玉突き人事”のようなデニム業界の動きが、ニュースとしてバリューがあるんだ、と実感しましたね。WWDはファッション業界のニュースメディアです。業界が“デニムブランド=ファッションブランド”と受け入れるようになった証拠でしょう」。


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