学生服を脱いでからは毎日、河原でトレーニングに明け暮れた。半年後、UWFに履歴書を送ったが、何の反応もない。垣原さんは思い切って上京し、住み込みで新聞配達を始めた。毎朝、走って500軒分の朝刊を配った後、仮眠してトレーニング。夕方にはまた夕刊配達という日々を送った。
そんなあるとき、プロレスラーになりたくて上京してきたことを、新聞販売店の先輩に話すと、思わぬ情報を教えられた。垣原さんが住んでいる部屋に、かつてUWFの入団テストを受けた人が住んでいたというのだ。早速紹介してもらい、さらにその人づてにUWFの元練習生と電話で話す機会を得た。そこで元練習生から言われた言葉が、垣原さんを突き動かした。
「すぐに動かないとダメ、今すぐにでも道場に行くべきだ、ってアドバイスされたんです。ハッとしました。確かに、このまま待っていてもチャンスは来ない。電話を切ってすぐに、UWFの道場に行きました」。
成城学園にあった道場(当時)に行くと、“関節技の鬼”こと藤原喜明さんが、若手とちゃんこを食べてる最中。藤原さんは、「坊主どうした? 入ってこい」と垣原さんを招き入れた。
体力テストが始まるのかと思いきや……
ちゃんこをごちそうになった後、思い切ってUWFへ入りたいことを伝えると、藤原さんから返ってきたのは「テストをしてやるから服を脱げ」という言葉だった。体力テストが始まるのかと、上半身裸になった垣原さんの背中に、鍋のなかの煮えたぎった大根がのせられた。
「藤原さんは『耐えたら合格だ』と。体中に電流が走りましたね。それでも耐え続けたら、『よし。来週、入門テストがあるから受けに来い』と言ってもらえて。藤原さんにとっては遊び半分だったのかもしれませんが、僕にとっては一世一代のチャンスをいただけて、天にも昇る気持ちでした。ちなみに大根をのせられた背中は、皮が同じ形に剥けていました(笑)」。
そして入門テストを受けた垣原さんは、見事に合格したのだった。しかし、そこからが本当のスタートだった。体重が70キロ台だった垣原さんが、先輩たちからつけられたあだ名は“もやし”。身体を大きくするため、外食の際は必ず定食を3つ食べるのがノルマだった。道場でのちゃんこも、食べきれなければミキサーに入れ、飲まなければならなかった。そのかいがあって、半年で体重が12キロも増えたという。
練習の厳しさも尋常ではなかった。基本トレーニングであるスクワットや腕立て伏せは、トランプを使って行われた。カードをめくり、出た目の10倍の回数をこなすのだ。それを、すべてのカードがなくなるまで続けていく。
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