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スパーリングでも、先輩たちにコテンパンにされた。前田日明さんとやると、120キロの体躯に手も足も出ず押し潰された。口や鼻をふさがれて呼吸ができず、息継ぎのたびに笛のような音が出ることから、“ラッパ”と呼ばれる状態が延々30分も続く。こういった過酷な状況に、ほかの練習生たちは続々と夜逃げしていったという。
2014年に悪性リンパ腫と診断され、現在は小康状態が続いている(撮影:大澤誠)
しかし、垣原さんは耐え続け、晴れて1990年にデビューした。必殺技“カッキーカッター”などを武器に頭角を現し、大会でメインを任されたり、タッグ王座のベルトを巻いたり、トーナメントで優勝したりと活躍した。
だがその一方で、激しい闘いにより、慢性的なケガに悩まされるようにもなった。首のヘルニアが悪化し、2006年に現役引退。結婚して子どももいた垣原さんは、家族を養っていかなければならない。次のキャリアを考えたときに、思い浮かんだのが“クワガタ”だったという。
「プロレスと同じくらい好きなことは何だろう。そう考えたとき、クワガタしかないと思ったんです。僕はプロレスラーとして現役だったころ、地方遠征のたびに、クワガタを獲りに山へ行っていました。クワガタのために、北海道から沖縄、さらにはインドネシアにも行きましたね。レスラーということは伏せて、専門誌にも連載を持っていたほどです」。

子どもたちに昆虫や自然に触れてほしい

では、クワガタを使って何をするか。大好きなものに値段はつけられないので、売買はできない。悩んだ揚げ句、思いついたのが“クワレス”だった。
垣原さんは引退前、同郷の先輩であるスポーツライター・二宮清純さんと一緒に、クワガタが力比べをするイベントを開いたことがあった。それを本格的に興行としてできないか、と考えたのだ。その背景には、子どもたちがもっと気軽に、昆虫や自然に触れてほしいという思いがある。
「僕らが子どものころって、夏休みの自由研究は、昆虫採集をして標本をつくるのが定番でしたよね。けれど今の子どもたちは、虫に触れる機会があまりありません。こんな楽しいことを何でしないんだろうと。けれど、いきなり山や森に行けといっても、子どもたちはそもそも昆虫に興味がない。そこで、まずは興味を持ってもらうために、クワガタのバトルを見せようと思ったんです」。
イベントは日本全国、学校や商業施設やお祭り会場など、さまざまな場所で開催している。その際、垣原さんはクワガタを模したマスクやコスチュームに身を包み、“ミヤマ仮面”として登場。クワガタが傷つかないようなルールのもと、自身がレフェリーとして試合をさばいていく。
最初は昆虫に興味がなかった子どもたちも、日本のクワガタが外国産の大きなクワガタに立ち向かい、倒す姿を見るうちに、熱狂することが多いという。
「ほかにもふれあい体験といって、テントのなかにカブトムシやクワガタをたくさん放して、子どもたちに触ってもらうこともしているんです。最初は『怖い!』『キモい!』とか言っていた子どもたちも、僕が触っていると、少しずつまねするようになって。その姿を親御さんやご家族が見て、大喜びしてくれますね」。


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