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農業の厳しさと自然の気持ち良さに触れた、高知での生活


2011年の夏に家族で移住した先は、山に囲まれた「辺境の地」。さらに勢いで飛び込んだ農業の世界は甘いものではなかったという。
「失礼ながら、自分のなかで農作業ってゆっくりまったりっていうイメージがあったんです。でも、朝は8時前に田んぼに集合して、もうそこからは休みなし。『動け!』って常に威勢のいい声が飛び交っている。なにこれ、すげースパルタじゃん!と思って(笑)。16時ごろには終わるので自由な時間は長いけど、体力的にはきつかったですね」。
午前中はアロエ畑、午後はナス畑で作業するのが基本の工程だが、天候によって仕事量は左右される。照りつける夏の陽射しは容赦なく体力を奪った。収穫したナスを箱に詰め、クルマがぎりぎり通れるような細いでこぼこ道を通って隣村まで運送する時間が、休憩時間のような感覚だったという。
しかし伊藤さんは高知での生活に落胆していたわけではなかった。当時の生活の変化をどう感じていたのか。そう尋ねると、一言「気持ち良かった」と振り返る。
「例えば、夜ふと空を見上げると、どんなときでも常に降るような星が目の前に広がっているんです。すげー!って、見るたびに毎回思いました。後ろにそびえる山からは動物の鳴き声が聞こえる。自然と一体になったような感動がありました。あと僕は高知に移り住んだ途中から、個人的に田んぼでお米を作っていたんですけど、その田植え作業も、ひたすら心地良かった」。
左●田植えしたばかりの田んぼ。/右●成長し、青々と伸びた稲の様子。渦を巻くように植える「曼荼羅農法」。
まだ誰も足を踏み入れていないまっさらな田んぼを踏みしめる喜び。足裏に伝わるにゅるりとした泥の冷たさが気持ち良くて、何度もその感触を確かめた。
秋になり、農家の仕事のピークは終わってしまったため、伊藤さんは新たな職を探し始める。県内の三原村というところに引っ越し、森林組合に加入した。つぎは林業をすることにしたのだ。林業のハードさは、農業のそれをさらに上回るものだった。
「燃料をいれると5kg以上あるチェーンソーに加え、背中には交換用の燃料や荷物も背負って、木を切り倒していく。足元は不安定な場所が多くて、これで怪我をしないほうがおかしいと思いましたよ(笑)」。
実際、伊藤さんはチェーンソーで膝を15針縫う怪我もしているし、同じ時期に林業を始めた新人が芝刈り機で手の甲の肉片を切り飛ばすなど事故や怪我の話には事欠かなかった。むき出しの刃と対峙し、切り出す木が倒れる向きを少しでも見誤れば命に関わる。常に大きなストレスを感じながらの作業は、体力的にも精神的にも負担としてのしかかった。
「それでも林業2年目は作業にも慣れてだいぶ楽になりました。サマータイムを導入したことも大きかった。まだ暗いうちに山に登り、山の上で準備を始めたくらいで空が白みはじめる。そこから作業を始めて、ごはん休憩なしで昼前後ぐらいには終わるんです。毎日現場からの帰り道に素っ裸になって川へ飛び込み、汗と機械油と木屑でぐちゃぐちゃの体をリフレッシュしました」。
そのまま日光浴をしつつ昼寝をして、翌日までの長い自由時間を楽しんだ。
「ちょっとした夏休みみたいな気分でした」と伊藤さんは笑った。
森林組合に所属したあと、個人の山主とともに山に入って木を伐って運ぶこともあった


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