「和食の修行ってなんかすごく理不尽なイメージありません? だから最初はフレンチかなと思ったんですが、当時、学校で日本のフランス料理のトップの人のドキュメンタリーを見たんです。そしたら100℃に温めた皿を素手で持たせていた…… 意味がわからないですよね(笑)。フランス料理のトップがそれなら、洋のほうにも理不尽はあるんだろうなって思いました。そこで“独学しやすいジャンル”を考えて、お菓子を選んだんです」。
レストランに比べると単価が安いので、自分で食べ歩きして勉強ができる。さらにはオーダーを受けて作るのではなく、「作ってお客を待つ」業態なので、本気度があって時間をうまく使いさえすればすごいものを作ることができる! と判断したのだという。それが17歳のときの話だから、すごい。
もっというなら、この時点で老後の自分の在り方まで想定していた。なにしろ“義務”教育は完全スルー。十数年の人生において、いつもゼロから自分で考え決断し、回答してきたのだ。
「80歳頃の自分の姿を想定して、そこから逆算して、そうなるために今何をしておかないといけないかを考えたんです……でも、職人の家で、自分の身の振り方は自分で考えるよう教わってきたので、それが特殊なこととは思っていなかったんですね」。
生きていくためには当たり前のことなのである。専門学校でも、もちろん「無理!」な仲間はいただろう。イライラして付き合いきれない状況も訪れたに違いない。
「学生時代から、人に決められたことを理由もわからず自分がやることには反発してきましたけど、料理の道は自分で決めたことですからね。それを投げ出すようなら、ずっと自分が言ってきたことに嘘をつくことになります。“結局そんな人間なんだ”って思われてしまうので、そうならないように頑張りました。まあ結局は硬派なんで、男として恥ずかしくないことが重要だったんです」。
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