「大人のCOMIC TRIP」を最初から読むいつか必ずやってくる、親の死。決して避けることのできないこの人生の大きな出来事について、考えたことはあるだろうか。なかには、親が亡くなることなんて想像できない、なんて人も少なくないはず。そこで今回取り上げたいのが、『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(宮川さとし/新潮社)だ。
本作は宮川氏が自身の体験をもとにした自伝エッセイマンガ。2013年に発表し、大きな反響を集めた作品だ。しかしながら、当時、本作の存在を知りつつも、「母親の死」をテーマにした作品ということでどこか「他人事である」と捉えていた人もいるかもしれない。
それから5年が経ち、少しずつ実感が湧き始めているのではないだろうか。だからこそ、あらためて本作を読むことを強く勧めたい。我々読者と同様に、「自分の母親だけは絶対に死なないものだと」思っていた宮川氏の実体験は、“万が一”を迎えたとき、必ずや背中を押してくれるものになりうるからだ。
本作につけられている、やや衝撃的なタイトル。これは宮川氏が母親の遺骨を前にしたとき、直感的に湧き上がってきた感情だ。そこには「母親を自分の身体の一部にしたい」という、深い愛情が込められている。
本作は、最愛の母親が胃がんであることが発覚した瞬間から始まり、葬儀の様子や闘病生活、死後も続いていく生活のなかで母親を思い出す瞬間などがやさしい筆致で綴られている。なかでもとりわけ胸を打つのは、母親を亡くしてからの日々の描写だ。
例えば、いつまでたっても母親のメールアドレスを削除できないこと。自宅で母親の書いた文字を目にした瞬間。母親の財布に残されていたレシート。そういった些細な物事の一つひとつが、母親が生きていたことの痕跡として、宮川氏の胸を苦しくさせる。
しかし、宮川氏は少しずつ前を向き、歩みを進めていく。それは決して亡くした人を“忘れる”ということではない。「寂しさは一生続くのだろう」と覚悟し、最愛の人の“死”を背負いながらも生きていくということだ。
人はどうしても思い出に縛られてしまう。それを「弱い」と吐き捨てることは簡単である。けれど、本当に大切な人を亡くしたとき、そのように割り切ることができるだろうか。
いや、人間の感情というものは、そんなに単純ではない。では、どうするべきか。それは宮川氏の生き様が物語っている。彼が母親の死とともにこの先も生きていくと決めたように、死を無理やり乗り越えようとするのではなく、自分の胸の内に大切にしまい込み、それを時々そっと開けては故人を懐かしむ。そして、やがてはそれが大きなパワーとなり、人生が動き出していくのだ。
本作は、「母親を亡くす」ということがうまく想像できない大人にこそ読んでもらいたい、胸に迫る一冊である。
五十嵐 大=文
1983年生まれの編集者・ライター。エンタメ系媒体でインタビューを中心に活動。『このマンガがすごい!2018』では選者も担当。