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なぜ、「私たちは特別だ」と言いたがるのか

上述のように、おそらく20代の言う「私たちの感性」は、本当はそれほどオッサンと違わない、むしろ、裏でオッサンから受け継いでいるものであるということは20代にとっては「不都合な真実」です。ですが、20代の若者の感性が独特である、個性的であるということが本当か否かということは、それほど問題ではありませんし(どうでもよい)、若者に嫌なことを言えばただ嫌われるだけですし、取り立てて言挙げし、まくしたてる必要はないでしょう。
我々がすべきことは「私たちはあなたたちと違う」ということをなぜ彼らが言いたがるのかという背景を理解し、適切な対応を取ることです。エリクソンのライフサイクル理論を見ると、20代というのは個性というものについての考え方がぐらついた不安定な時期に私には思えます。
前半はまだ思春期を引きずっていて、いわゆるアイデンティティの確立(自分は一体何者かということについての肯定的な確信)が精神発達上の課題である状況が続いている人が多い。自分を確立することは、他と区別することに近く、ひいては個性の主張につながる。「私は特別である」と言いたい時期ということです。
 

「特別な人たち」の「集団」?

ところが、特別な人、独特な人は、必然的に孤立します。特に日本のような同調性圧力という文化的宿痾を持っている国においては、「変わっている人」は排除されてしまいます。それに加えて、アイデンティティの確立ができれば、エリクソンによれば次の段階としては「親密性」という、他者とわかりあい親密な関係を築く(そして恋愛や結婚に続いていく)という発達課題の時期に入ります。
多様性に対して受容的な社会においては、「違う独特な個性」同士がお互いを認め合うことをサポートする雰囲気がありますが、同調圧力の強い排他的な社会においては親密さを作るのは主に同質性です。それなのに、前の発達段階で「私は特別」と言ってしまっている。矛盾です。ここをどう乗り越えるのかが日本社会の20代にとっては難しい。そこで彼らは「私『たち』は、あなた『たち』とは違う」「私『たち』は特別なのだ」というニュータイプみたいな幻想をなんとか作り出し、それを拠り所にするようになるのではないでしょうか。


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