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『クロカン』でもたらされた漫画家としての変化とは

連載ではあったけれども、三田さんはそれまでと同じようにノープレッシャーでこの作品に取り組んでいた。ところが連載開始からしばらくして、担当編集者が代わった。新任の男は三田さんに『クロカン』を『漫画ゴラク』を代表するような作品にしましょう、と提案した。提案どころか、顔を合わせるたび熱く熱く扇動した。編集部のオーダーをそこそこ器用にクリアすることを自身のキャラクターだと自認していた三田さんは、最初「無理だ」と感じたという。
「この人何を言ってるんだ、って思いました。でもことあるごとに言うんだよね(笑)。僕の眼の前に、初めて本気で漫画に取り組もうって言ってくれた人が現れた感じ。そんなことを言ってくれる人がいるのに努力しないっていうのはないでしょう? どれだけ打っても響かないと、言うほうはがっかりするじゃない? そう思われるのはすごく嫌だったので、最初はまず“どうやったらこの人の期待に応えられるのか”っていうところから考え始めました」。
それで行ったのが『漫画ゴラク』の研究。何はともあれまず、ゴラクの中で人気上位に入ること。その当時、絶対的トップに君臨していたのは『ミナミの帝王』だった。
「ともかく自分なりに結果を出さないといけないと思って『ミナミの帝王』に迫りたい、と。この看板漫画に迫るにはどうすればいいかなっていうことで、すごく読み込んで“『ミナミの帝王』っぽく描いてみよう”っていうことを実践するようになるんです」。
その結果……各種インタビューでは、三田さん、ヒットの3つの公式を見つけ出したと言っている。
(1)登場人物の「デカイ顔」
(2)その横の「決めゼリフ」。
(3)状況を説明する「ベタな比喩」。
(C)三田紀房/コルク
(C)三田紀房/コルク
「整理して、こういうことだなとわかったのはあとづけですよ。その頃の僕は、とにかく“ミナミっぽく描こう”としか思っていなかった。で、たぶんこれがひとつのきっかけになって作品のストーリー的にも盛り上がって担当編集も一緒に頑張って、おかげさまで『漫画ゴラク』で1位になりました。我々の商売においては、読者から評価されるということが何よりの喜びですから」。
『クロカン』はゴラク誌上で絶対王者『ミナミの帝王』を破ったのみならず、現状、三田紀房作品史上最長の27巻までストーリーが紡ぎ出された。
「自分のなかでは本当に大きな作品でしたね。このお話を描き切ったっていう達成感がありました。実は漫画って、わりと“ちゃんと描き切る”ことができるケースってそんなにないんですよ。いくら入れ込んでいても人気がなくて打ち切りになることもあるし、作家本人が途中で息切れして放り投げちゃうこともある。でも『クロカン』は僕にとって、まさに“最後まで描ききった作品”だったんです」。
三田さんの作品に対する思いはもちろん、漫画業界からの評価も新たにした。熱く盛り上がるストーリーを、途中でキレることなく最後まで描ききった。三田紀房は、それができる作家なのだと。
『クロカン』の連載は1996年から2002年、もうさすがに洋服店を畳み、漫画家専業になった解放感と高揚感はあまり残ってなかった。
「そんななかで、『クロカン』以降、ある一定の評価が僕に対してできたのではないかと思います。やはり描き切るということは大事なんですよね。連載中に一度も原稿を落としたことはなかったし“ちゃんと書く人”として周囲に認められた。それだけでなく、僕自身も週刊連載できっちりと長い話を描くペースをあの作品で手に入れることができた。と、同時に自分で描きたいものを積極的に提案できることになったし“この業界で生きていけそうだな”っていう実証も得られました。金のために選んだ漫画家という商売で、自分が自立してやっていこうと決意することができた、まさに転機になる作品でしたね」。


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