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戻った実家は火の車、さて……。

「そこで悩んだ記憶はないですね。わりと軽く“じゃあ、辞めよっかな!”って(笑)。うちの店が何店舗かあったので、それを手伝うのは身内の者の責任ですしね。せっかく出店した店ですからおいそれと閉めるわけにもいかない。だから会社を辞めて実家を継ぐことに関しては、まあそういうものだろうと思っていました」。

だがお店の業績はまったく芳しくなかった。そもそも勤めていた百貨店が多店舗化を目指していた時期だ。大型店が地方へどんどん進出していた。郊外にはスーパーが次々出店し、その影響で町中の個人商店は直接あおりを受けていた。
「多勢に無勢ですよ。目に見えて売上が減っていきました。でも、地元に帰ってきたことを後悔したりはしませんでした。呼び戻されることがなくても、会社での仕事にはかなり退屈してましたからね。百貨店には1年勤めましたが、正直、3カ月ぐらいで“ああ、こんな感じなんだなあ”って思ってたから」。
そして、帰郷後2~3年で毎日考えるのは「どうやって店をたたむかなっていうこと」ばかり。
「V字回復なんてまったく見込めなかったから。ところがね、商売ってなかなかやめられないんですよ。借金がありますでしょ? ……ということは保証してくれた人がいるわけです。資産全て売却します、店やめます、自己破産しますって言っても、周りが簡単には許してくれない。もうやめるしかないってわかっていても、簡単にはやめられないんです」。
もちろん保証人に気を遣っているばかりではなく、その後の自分の人生について考えなければならない。だが、三田さん曰く「田舎には再就職の道がなかった」。いかに東京の四大を出ていても、そもそも周囲に民間企業がない。ビジネスを起こして失敗して、またサラリーマンに戻るという選択肢はなかった。
ものを売る商売では、当然、仕入れなければ売るものはない。仕入れるには金がかかる。借金だけを返しているわけにはいかない。喉から手が出るほど金が欲しいという時期が続いた。
「それで僕は漫画を描き始めたんですよ。店をやってる間にデビューして、連載が決まって。この店がバタッといってもすぐに鞍替えできるように、ある程度の準備を始めていたんです」。


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