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そして、経験ゼロから漫画家へ

「それで、漫画を描き始めたんです」。
“漫画家・三田紀房の話”として聞いているから、なるほどねと思えるのであって、お金を稼ぐ手段として多くの人はいきなり「漫画を描いてなんとかしよう!」とは考えないだろう。だが三田さんはその道を選んだのだ。
「まあ図画工作は得意なほうでしたけど、漫画を描いたことはなかったんです。ただある日、漫画雑誌に新人募集・大賞100万円って載っていたので、もしうまくいったらラッキーだなと(笑)。それでまず出してみたんです。全然描いたことはないけれど、プロにみてもらわないと自分の実力がどれくらいかはわからないでしょう? それで小学館のビッグコミックのある賞に応募したら、電話がかかってきて、最終選考に残ってると。そこでわかるわけですよ。生まれて初めて描いた漫画が最終まで残る……ということは、まあそこそこ悪くない水準にいるんだなと」。

イケてるのかどうなのか、その基準が欲しかったのだ、と三田さんは言う。本人はもちろん面白いと思って描いている。でも漫画のことはよく知らない。知らない頭では判断がつかない。だからプロに委ねる。
「それは結局入賞しなかったんですけど、最終まで残ったということは、まあなんとかなるんだろうと。もう少し改善して次に何かの賞に送れば、何かしらの結果は出るだろうと計算は立つわけです」。
そうして1987年、第17回ちばてつや賞に入選。
しかしすごいのは、それまで漫画をちゃんと描いたこともないのに、描いていきなり応募する点だ。そこそこ準備して経験を積めば、まず自分のなかに、ある程度客観的な評価軸ができる。で、「よし、これならプロの目にも遜色ないだろう」と自信を得てから応募するのが一般的ではないのだろうか。
そうたずねると三田さん、宇宙人を見るような目を返した。
「だって“今の自分”をまずプロに診てもらわなくちゃいけないわけだから。“あなたはこのレベルです”っていう評価はプロに聞くのが一番だし、どれほど準備したって、準備に対して評価を下してくれるわけではないですよね? そんなことしているヒマはないんです。だってこっちはお金がほしんだから! 描いて渡してすぐお金がもらえるなら、それに越したことはないんですから!」。
目的は「漫画家になること」ではないのだ。ともかく「お金を得ること」。なるほど明快だ。準備をして、自分のなかに評価軸なんて生成している場合ではない。とにかく早く描いて早く渡さねばならないのだ!
「うん、だから自分がここまで習熟したから応募しよう、なんて考えにはならなかったですね。自分の描くものがお金をもらえるレベルにあるのかどうか、とにかく結果をすぐ知りたかったんです」。
果たしてそれは、お金をもらえるレベルにあったのだ。対象こそ逃したものの、入選で賞金は50万円。
「流通のサラリーマンをやって、洋服屋を経営して、漫画ってすごくいい商売だと思いました。だって、商品を仕入れる必要がないわけだから。自分が思いついたことを原稿にして出せばそれがお金に変わるんですよ。店とはまったく違う考え方ですよね」。
入選作が雑誌に載り、そのあとにすぐ編集の人に「次描いたら持ってきて」と告げられた。すぐに描いてすぐに送ると「いついつ掲載するから」と言われ、掲載されると原稿料が振り込まれた。
「デビュー作のあとにもう1本読み切りで掲載されて、その2週間後ぐらいに電話がかかってきたんです。“月刊誌で連載をやらないか?”って。そりゃやりますよね(笑)。それからすぐ連載が始まって。洋服屋やりながら月間連載を持つ漫画家になったんです。それで、漫画の原稿料は店の仕入れに消えてましたし、店番しながら店で漫画描いてたんですよ。編集者とは電話で打ち合わせしてネームをファックスで送って、原稿は紙でぐるぐる巻きにして佐川急便で送ってました(笑)」。
洋服店の店主兼漫画家の時代は、それから3カ月ほど続いた。
「とはいえ、原稿料なんて店を維持するには焼け石に水。ただ漫画の連載で定期的にお金が入ってくるようになったので、そのうち家族が言い出したんです“あなた、もうお店やめたら?”って。それでようやく岩手の洋服屋をたたんで、東京に出てきたんです。晴れて漫画家専業、ということになりました」。
 
【Profile】
三田紀房
1958年、岩手県北上市生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、西武百貨店の入社。実家の洋服店の経営を経て、30歳のときに漫画家デビュー。代表作に『ドラゴン桜』『インベスターZ』『エンゼルバンク』『クロカン』『砂の栄冠』など。2005年には『ドラゴン桜』で第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。現在、「ヤングマガジン」にて『アルキメデスの大戦』、『モーニング』にて『ドラゴン桜2』を連載中。
稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文


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