便利すぎる東京では自分で考える機会が減っていく
なぜ順調なキャリアを捨てて原村に戻ろうと考えたのだろうか。都会から離れたくなった理由は「東京は便利すぎる」というものだった。
「便利すぎる都会生活では、自分で考える機会がどんどん少なくなっていきます。一方、原村は駅もないし、コンビニもない。クルマでしか行動できません。いまだに携帯電話が通じない場所もあるくらいで、圧倒的に不便なんです。でも、その不自由さが心地いいんですね。不自由だから、自分の頭で考えて動くし、人とも会話でつながる。それが今の自分には必要な気がしました」。
もうひとつ大きかったのは、地元への愛着と、両親が高齢になったことで「そばにいてあげたい」と考えるようになったからだ。
「地元の友人に原村の現状を聞いたことも移住のきっかけになりました。軽井沢などと違い、八ヶ岳周辺はまだまだ観光地として認知度が低く、過疎化や高齢化が進んでいます。自分が生まれ育った地元に何か貢献できたら、と」。
ちょうどそんなとき、原村の友人から「新しくオープンする店で一緒に働かないか」と誘われた。もちろん、迷いや葛藤もあったという。なにしろ、地元とはいえ、成功する保証など何もない状態で未知の業種に挑戦するのだ。
「不安はありました。でも、もうすぐ40歳になる今、このまま守りに入ってしまっていいのかと、そんな自問自答をして日々を過ごすのは嫌だった。行動しないで後悔するよりも、自分の気持ちに正直でいたかったんです」。
今の伊藤さんの目標は、少しでも地元の原村にとどまる若者を増やすことだ。
「どうしても若い子は、学校を卒業したら東京へ……と考えてしまう。僕自身もそうでしたから。でも、高齢化はどうにもできないけれど、若い子に地元もいいな、ここで働くのもいいなって感じてもらうことはできるんじゃないか。ブックカフェ『K』が、その第一線になればと思っています」。
八ヶ岳の観光拠点、そして原村の人々をつなぐ場所となるため、伊藤さんは今日も朝からブックカフェのカウンターに立ち続けている。
藤野ゆり(清談社)=取材・文