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野球少年からスポーツトレーナー、そしてアパレルへ

元々野球少年だった伊藤さん。小学校3年生から高校3年生まで部活に青春を捧げ、1年生の頃に甲子園出場を果たしたこともある強豪の野球部に所属し、3年の時は県大会決勝まで進み、あと一歩で甲子園出場まで迫ったという。
高校3年間ケガに苦しんだという伊藤さんは、卒業後はスポーツトレーナーを目指して専門学校に通った。しかし、野球がすべてだった生活から離れたことで、スポーツ以外の、ほかの分野にも興味が出てくる。当時20歳。視野を広げるにはいい時期だった。
「そのころ、服飾関係の仕事をしている知人が『八ヶ岳リゾートアウトレットの新店スタッフを募集しているからやらないか』と声をかけてくれて。それでビームスのスタッフとして働くことになったんです。もともと服は好きだし、まったく知らない世界だったので、『面白いかも』と挑戦することにしたんです」。
とはいえ、見るのとやるのとでは大違い。華やかなイメージを持っていたアパレル業界だったが、実際に働いてみると想像以上に大変な仕事だったという。
 

このままでいいのか? 30代後半で地元へ移住

「おしゃれな人たちが、おしゃれ~に働いているんじゃないかと思っていたんですが、まったく違いました(笑)。力仕事が多いし、服も自分から泥臭く動かないと売れない。販売スタッフとしてのルールがきっちり決まっている職場でした」。
ルールに従うというのは、体育会系出身の伊藤さんにとってやりやすい部分でもある。しかし、それでもやっぱり「慣れるまで大変でした」と話す。
「もともと僕は、すごく引っ込み思案で奥手。最初はお客様とのコミュニケーションひとつをとっても、苦労しっぱなしでした」。
そこでファッションを地道に勉強し、どんなコミュニケーションをとれば販売につながるか、真面目に研究したという。そのとき培ったコミュニケーション能力が、今の仕事や生活でも生きている。
「おかげでどんなタイプの人とも、幅広く交流できるようになりました。今考えると、アパレルの仕事がすごく人生においてプラスになっていますね」。
ビームスで働き始めて6年が過ぎると、能力を買われて店長職やマネージャー職など、責任あるポジションを任されるようになった。東京、そして関西の支店の店長を務めたこともある。
ここまでのキャリアは、まさに順調そのものだ。しかし、伊藤さんはアパレル業界でのステップアップに満足することができなかった。
「気がつけば、アパレル業界に15年。たしかに仕事は順調でした。でも、自分も30代後半になり、このままでいいのかなと思うことが増えたんです」。
そんなときに心のなかに芽生えたのが、地元に帰りたいという思いだ。


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