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22歳のときに妻と一緒にデザイナーとして独立

池田さんは大好きなレコードを追い求め、18歳のときに佐賀県から上京した。
音楽少年だった高校時代、小遣いはすべてレコード代に消えた。当時は今のようにECサイトが発達していなく、レコードをネット経由で買う手段はまだ存在しなかった。しかも地方には大きなレコード店もない。
「東京に行けば、自分の好きな音楽にいくらでも出会えるんじゃないか」。クラブDJに憧れた池田さんは、そう考えて高校卒業後に上京したのだ。
六本木や渋谷でDJ活動をスタート。DJや音楽制作にはパソコンが不可欠で、独学で勉強するうちにパソコンの知識がどんどん増えていく。そうしたなかで、現在の仕事に繋がる人脈も自然と広がっていったという。
「音楽活動をするなかでレーベルの人たちとの出会いがあり、だんだんデザインの仕事を頼まれるようになったんです。じつは妻ともデザインの仕事を通じて知り合いました。当時、彼女はデザイン会社で働いていたので」。
池田さんが友人と行っていたクリエイティブ活動に妻も加わり、3人でさまざまデザインの制作を請け負うようになる。その後、大きな案件をコンペで受注したのをきっかけに、妻とともにデザイナーとして独立した。
池田さんは、その選択を「若かったからできたことですね。今の年齢だったら躊躇していたかもしれない」と振り返る。
なぜなら、こういうケースではひとりで独立するのが定石だからだ。ふたりで不安定な道を選べば、共倒れするリスクだって考えられる。事実、池田さんの友人はサラリーマンをやめる決断ができず、チームから去ってしまった。池田さんたちは怖くなかったのだろうか? しかし「迷いはなかった」と言い切る。
「僕も妻もまだ22歳と若かったので、勢いですね。当時は大きな案件を任されて、自分たちの仕事に少し自信を持ち始めた時期だった。まあ失敗してもなんとかなるんじゃないかと」。
結婚したのは2010年、池田さんが32歳のとき。その3年後には第一子が誕生した。デザイン会社では、池田さんがディレクション、妻がデザインの実作業を担っている。取材中も、言葉選びに思案する池田さんの隣で妻が補足するようにハキハキと話す姿が、なんとも印象的だった。
池田さん夫妻はなぜ富士見町への移住を決意したのか。それは子供が生まれたころから感じ始めた東京生活に対する「違和感」がきっかけだった。


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