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敵対する大名の攻略も、武力だけでなく「接待」「接遇」を駆使して成功させました。

仇敵をも心酔させる接待攻勢

【接待3】十数年来の仇敵を2カ月間も手厚く待遇 ~毛利輝元上洛~
天正16年(1588)7月、秀吉は中国地方で最大の勢力を誇る大名、毛利輝元に対して上洛を命じました。
すでに秀吉に恭順の意を表していた輝元ですが、毛利氏は織田信長の時代には秀吉と敵対関係にあり、その行方を周囲も注意深く見守っていました。
ところが、会見の場に現れた秀吉は、輝元の上洛を大いに喜び、さっそく豊臣の姓を与えたのをはじめ、高い官位の便宜を朝廷に図るなど、輝元を厚遇しました。
その後2カ月にわたる滞在中も、輝元は、武家はもちろん公家や文化人、商人など名だたる人物をそろえた秀吉主催の饗宴や茶会に招かれ、さらには秀吉自らの案内で奈良の大仏ほか京都・大坂の名所旧跡や、大坂城の天守を見物しています。
この「手厚い」接遇により、輝元はすっかり秀吉へ傾倒してしまいます。最有力大名の一人でもあった毛利氏が秀吉に屈服した意義は大きく、それこそが秀吉の真の狙いでした。
これによって、表向きは秀吉に恭順を装いつつ、輝元のような有力大名が反旗を翻せばそれ乗じようと企んでいた大名たちも、その拠り所を失い、多くが豊臣家臣として生きる道を選ぶほかなくなったのです。


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