英国ヨークシャーからオレゴンに渡ったひとりの職人が、ネイティブアメリカンのために紡いだウールのブランケット。今も変わらぬ品質とデザインに、アメリカの美しさが表れていると思う。しかしなぜ、ネイティブアメリカンのために作ったのか? ペンドルトンでセールスおよびマーケティングの責任者を務めるロバート・クリスナクト氏にインタビューをした。
ペンドルトンとは?
英国ヨークシャーから米国オレゴン州に渡った毛織物職人、トーマス・ケイが立ち上げたウール製造工場を前身として、1909年にペンドルトンで創業。ネイティブアメリカン柄のブランケット作りからスタートし、スーツ地を含むさまざまな生地を製作した。以降、メンズのウールシャツをはじめとして、レディスウェアを含めアパレル製品全般を生産するブランドに。現在はオレゴン州ポートランドにメインオフィスを構えている。
「ネイティブアメリカンたちが認めたデザインなのです」
ネイティブアメリカン柄の、美しい色合いのウールブランケットで知られるペンドルトン。裏を返せば、ペンドルトン以外でこのようなデザインはあまり見たことがない。いったい、どんな経緯で生まれたのだろうか。
「実際に“ネイティブアメリカンのためのブランケット”を作ったことがきっかけなんです。ペンドルトンというブランドができる前の1889年、創業者のトーマス・ケイはオレゴン州セイラム(※1)にウール製造工場を立ち上げました。羊毛精錬と並行して、ネイティブアメリカンたちのためのベッド用毛布やローブを作り始めたのです」。
そう語るのは、ペンドルトンでセールスおよびマーケティングの責任者を務めるロバート・クリスナクト氏だ。
「正確にはその工場は一度操業を停止し、ブランケットの生産も休止しました。しかしその後、長女のファニーが小売商のC・P・ビショップと結婚し、1909年、ビショップ家としてペンドルトンに移転し、新たに毛織物工場をスタートしたのです。最初の製品はもちろんブランケットでした」。
しかしなぜ、ネイティブアメリカンたちのために作ったのか。もっと万人受けする消費者のためのブランケットでもよかったのではないだろうか。
「直感的に“この美しい図柄はきっと広く認められる”と判断したのでしょう。だからこそまずは、ネイティブアメリカンたちが本当に好むデザインを研究し、彼らが首を縦に振るものを作ろうと考えたのだと思います」。
鮮やかな色と複雑なパターンは、地元ペンドルトンに住むネイティブアメリカンをはじめとして、ナバホやホピ、ズニの人々に広まり、信頼を獲得していった。また、ネイティブアメリカン以外の消費者の注目を集めるのにも長い時間はかからなかった。
「1915年頃には既に、東海岸のメジャーなデパートにブランケットが並んでいました。2番目の製造工場ができていたので、生産力が上がり米国内に広まっていったのです」。
その後、鮮やかな色のウールシャツをはじめとしてライフスタイル全般の衣料を手掛けるようになる。アパレル事業は成長を続け、国外でのセールスも展開。日本には’81年に上陸、そして現在では世界30カ国で製品が販売されている。しかしなぜか、ペンドルトンには「グローバルブランド」という言葉が似合わないような気がする。もっと実直なブランドという印象なのだ。
「それはもしかしたら、創業以来6代にわたってファミリー・ビジネス(※2)を続けているからかもしれません。ブランドが向かう先を見失わないように、少しずつ成長させて次の代に渡そうと努力しているからではないでしょうか」。
1863年、当時の羊毛産業の中心地であった英国ヨークシャーから、4カ月かけてオレゴンにたどりついた創業者トーマス・ケイ。彼の紡いだブランケットは120年を超えてなお、その精神とともに受け継がれている。
「ペンドルトンの製品はトレンドに左右されないものだと思っています。これから先も、触れた人を笑顔にする製品を作っていきたいですね」。
セイラム(※1)
オレゴン州北西部に位置する都市。市の中心部にウィラメット川が流れ、多くの水路が巡らされている。豊富な水と穏やかな気候に恵まれた、ウール生産に適した条件を備えた街である。
ファミリー・ビジネス(※2)現在の社長はクラレンス・モートン・ビショップⅢ世。兄弟のジョン、チャールズ、ピーターが副社長だ。生産現場に積極的に足を運ぶというブランドの伝統を守り、品質管理に努めているという。
加瀬友重=文