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2017.12.07

たべる

64年の東京五輪に合わせて発売!「ワンカップ大関」の凄い歴史

カップ酒という名の愉悦 Vol.1
巷にカップ酒専門の居酒屋が増加中だ。「ワンカップ」という通称でも親しまれているが、これはカップ酒の始祖である大関株式会社(兵庫県西宮市)の登録商標。正確には「カップ酒」ということになる。いつでもどこでも手軽にクイっと飲めるカップ酒。当連載は、その知られざるカップ酒の魅力にほろ酔い気分で迫ろうというものだ。
記念すべき第1回は、やはりカップ酒を世に誕生させた大関株式会社に話を聞きたい。誕生秘話から面白トリビアまで、熱く語ってくれたのは同社営業統括部の北川浩史さん。
スーパーの棚には様々なカップ酒が並ぶ
「江戸時代は酒銘『万両』を樽廻船で江戸に運び、“灘の下り酒”として親しまれました。さらなる飛躍を目指して、明治17年、当時相撲の最高位で、『大出来』にも通じる『大関』に酒銘を改め、現在に至っています」(北川さん、以下同)
樽廻船の模型
時は流れて、1964(昭和39)年。日本、いや世界初のカップ酒、「ワンカップ大関」が誕生する。外国人もたくさん訪れる東京オリンピックに合わせたいという思いもあった。容量は1合の180ml。フタはプルトップ型で簡単に開けられる仕様だ。
今とほとんど変わらないデザイン
それまでは日本酒といえば一升瓶が主流で、徳利に注いで猪口で飲むスタイル。屋外で飲むシーンはあまりなかった。そこで、当時の社長である10代長部文治郎の「いつでもどこでも容器から直接飲める商品を作ったら売れるんじゃないか」というアイデアが発端だった。
「瓶のデザインは東京芸大の小池岩太郎先生、ラベルのデザインは東京女子美大の松川烝二先生に依頼しました」
ひとつのコップを意味する「ワンコップ」という名称案もあったが、最終的には「ワンカップ」になったそうだ。
発売後も商品企画会議は続く
「ターゲットはズバリ、若者です。発売当初の値段は85円。ラーメンが1杯59円程度でしたから、けっこう割高ですよね。2級酒が主流だった時代に『コップ酒は下品なお酒』というイメージを払拭するために1級酒を詰めたのも理由のひとつです」
酒蔵から大関号で市場へ
斬新なデザインのパンフレット
ポスターも洒落ている
とはいえ、最初から売れたわけではない。発売初年度の出荷量は約70万本。大関全体からみれば、たった0.5%に過ぎなかった。転機は1966年に始まった駅売店での販売と、1967年の専用自販機の登場だ。
酒類業界初の自販機
「1971年頃から他社もカップ酒市場に参入してきましたが、『ワンカップ大関』の売り上げは鰻のぼりに増え、1979年にはついに1億本を達成。ピークは1993年の1億3000万本です」
全国の日本酒トータルでは1973年が売り上げ総額のピーク。「ワンカップ大関」はそこから20年も日本酒業界を牽引したことになる。
また、丸い瓶のレンズ効果に着目し、ラベルの裏に日本の風景のカラー写真をデザインした「ワンカップフォトシリーズ」は、パッケージ展の特別賞を受賞した。
長野県の白骨温泉
2017年には、地域ごとの食と合うように酒質をアレンジした地域限定ワンカップを発売した。
「One CUP for 地元めし」シリーズ
醪の醗酵や溶け具合等を厳しくチェックする杜氏
というわけで、大関では現在も年間約5000万本の「ワンカップ大関」を生産している。カップ酒業界が賑わってきているが、絶対王者の矜持は捨てていないようだ。
フル稼働する工場のライン
 
発売当時を継承する「上撰ワンカップ」
現在、「上撰ワンカップ」を含む定番アイテムは11種類にのぼる。さて、カップ酒が飲みたくなってきたぞ。次回はいよいよカップ酒専門居酒屋を突撃します。
取材・文/石原たきび
【取材協力】
大関株式会社
https://www.ozeki.co.jp


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