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2017.05.22

ライフ

1993年の小沢健二と小山田圭吾~渋谷系再考論(5)

「ラヴ・タンバリンズ」とクルーエル・レコーズ

1993年に、渋谷を拠点としたインディーズ・レーベル「クルーエル・レコーズ」から“渋谷系”を象徴するヒットが生まれる。「ラヴ・タンバリンズ」の『チェリッシュ・アワ・ラヴ』だ。ソウルやファンク、ジャズを現代的に解釈する“レア・グルーヴ”の流れを汲んだ音楽だったのだが、当時大阪で大学生活を送っていた私の周りでも大変評判になった。
それまでB’ZやZARDやWANDSを聴いていた友人も、なぜか手にしていた。理由は「お洒落だったから」。つまり“女の子にモテるためのアイテム”になっていたのだ。インディーズから発売された無名の新人アーティストの、マニアックなマキシ・シングルが、友人の部屋でB’Zと一緒に並べられているのを見て、私はなんだか誇らしい気分になったものだ。
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「ラヴ・タンバリンズ」のマキシシングル。左から『チェリッシュ・アワ・ラヴ』(93年4月)、『ミッドナイト・パレード』(94年1月)
“渋谷系”っぽい音楽は、外資系CDショップを中心にメジャーアーティストと同列で猛プッシュされていくのだが、私の周囲では「ジャケットが、なんだかお洒落だから」という理由で購入する人も少なくなかった。インテリアの”モテ・アイテム”のひとつ、として成立していたのである。私なんかは女子に「へぇー、ラヴ・タンバリンズ好きなんだったら、クルーエルの最新コンピも聴いた? ジャクソン5のカヴァーがさー、カッコいいんだよね」なんて本格的な音楽話を振ってしまって、モテるどころか逆に面倒臭がられたのだが……(涙)。“渋谷系”は音楽そのものよりも、ジャケットを含めた“見た目”が一般的には評価されていたように思う(その代表的な存在が当時コムテンポラリー・プロダクションのアートディレクターであった信藤三雄氏であり、彼のデザインがあればそれで“渋谷系”が成立してしまうほどであった)。
クルーエル・レコーズのコンピレーションアルバム『ハロー・ヤング・ラバーズ』(93年3月)。イントロダクションに収録されている「カヒミ・カリィ」の朗読に”渋谷系”ブームの熱気を感じる

ついに小沢健二が動き出す。地味すぎるソロデビューシングル

フリッパーズが解散してから、小山田圭吾は「ピチカート・ファイブ」や「ブリッジ」のプロデュースや自身の主宰するレーベル「トラットリア」の運営など、その活動を知る機会が多かったのだが、小沢健二はあまり目立った活動はしていなかった。その小沢が93年ついに動き出す!ということで、私個人は猛烈に盛り上がったのだが、ソロデビューシングル『天気読み』のあまりの地味さにひっくり返りそうになった。いま考えれば“レア・グルーヴ”の流れを汲んだ音楽性(元ネタはスティーヴィー・ワンダー)、かつ日本語で歌うことを丁寧に考慮した歌詞が意欲的な楽曲なのだが、「フリッパーズ」の続編や“渋谷系”の元祖としての小沢健二を期待していた私みたいなファンは、「どうしちゃったんだろう?」と戸惑いを隠せなかった。それが、狙いだったのかもしれないが。
左からソロデビューシングル『天気読み』(93年7月)とアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』(93年9月)。睨みをきかせてロックシンガーしている小沢さん。その後の「王子様」の雰囲気は、まだない
小山田圭吾も呼応するように、コーネリアス名義でシングル『太陽は僕の敵』とミニアルバム『ホリデイ・イン・ザ・サン』をリリース。こちらは、フリッパーズ時代と同等の瞬発力を見せつけ、当時世界的に旋風を巻き起こしていた「ジャミロクワイ」(白いスティービー・ワンダーとも呼ばれた)をさっそくチューニング。“アシッド・ジャズの本命馬”にしっかりと乗っかってみせた。私なんかは、小山田圭吾のある意味“わかりやすさ”が気持ちよかったし、周囲からのいわゆる“渋谷系”元祖への期待をしっかりと受け止める男気すら感じたものだった。(「2つに分かれたストーリーが新しい世界を開くだろう」なんて、フリッパーズファンへのリップサービス的な歌詞も微笑ましい)
左がジャミロクワイの1st『エマージェンシー・オン・プラネット・アース』(93年8月)。小山田圭吾の反応速度を見せつけたのがミニアルバム『ホリデイズ・イン・ザ・サン』収録の『レイズ・ユア・ハンド・トゥゲザー』(93年9月)
そして1993年9月末。いよいよ小沢健二のソロアルバム『犬が吠えるがキャラバンが進む』が発売され、その全容が明らかになると、小沢健二の意図がだんだんとわかってくるようになる。

意味なんて何もないなんて 僕が飛ばしすぎたジョークさ

象徴的だったのが、アルバムのラストを飾る8曲目の『ローラースケート・パーク』。その歌詞には、フリッパーズファンならば確実に、そして敏感に反応する言葉がつづられていた。
“ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて
そんなバカなあやまちはしないのさ!“
“意味なんて何もないなんて 僕が飛ばしすぎたジョークさ
神様がそばにいるような時間続く“
©KENJI OZAWA
フリッパーズ時代の小沢健二が繰り返し訴え続けていた、「意味のない言葉を繰り返す」「分かりあえないことだけを分かりあう」「言葉などもうないだろう」などといった言葉を、真っ向から否定するような内容である。フリッパーズの歌詞に“救われた”といっても過言ではない私は、その歌詞を見たときにショックを受けた。それと同時に「これでこそ、小沢健二の真骨頂。ひねくれてる!」と爽快に感じたのである。収録された8曲は、噛めば噛むほど味が出るスルメのようで、“渋谷系”から距離を置きつつ(小山田圭吾からは尾崎豊みたい、とも揶揄された)、独自の世界観を貫く小沢健二の次の展開に、再び大きな期待を抱いたのであった。
そして翌94年。“渋谷系”のみならず、日本のヒップホップ界をも揺るがすシングル曲が発売される。その曲の名は『今夜はブギ―・バック』、「スチャダラパー」とのコラボレーションだった――。
(vol.6 最終回に続く)
取材・文/藤井大輔(リクルート『R25』元編集長)
1973年富山市生まれ。95年にリクルートに入社し、31歳のときにフリーマガジン『R25』を創刊。現在はフリーランスの編集者でありつつ、地元富山では高齢者福祉に携わっている。



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