2021.05.25
ANNIVERSARY

15年前、オーシャンズが創刊記念パーティをした表参道ヒルズはどんな15年を歩んだか?

東京、原宿・青山界隈のランドマークといえば表参道ヒルズ。開業日は2006年2月11日。なんと、オーシャンズと“同い年”なのである。

15年間、表参道から見てきた景色はどんなだったのか? 初代館長・荒川信雄さんに話を聞いた。

表参道ヒルズの初代館長、荒川信雄さん。現在は、ラフォーレ原宿の代表取締役社長と、森ビル株式会社の執行役員を兼任する。趣味はサッカーで、シニア 50 東京代表として海外遠征の経験ある選手でもある。そして、手前にあるのは何と、オーシャンズの創刊準備号じゃないか!

まさかの、創刊記念パーティの記録が……

編集部 “同い年”のよしみで、本日はいろいろとお聞かせください。

荒川 もちろんです! で、これは大切な私物です。

編集部 なんと、オーシャンズの創刊準備号! なぜ荒川さんが?

幻のゼロ号こと創刊準備号。これを読み返すと、編集部が驚いた。その理由はこちらから。

荒川 大切に保管してあったのを引っ張り出してきました(笑)。私、いや表参道ヒルズはオーシャンズを“同志”だと思っているんですよ。その理由、わかりますよね?

編集部 えっ! 創刊記念パーティですか!?

荒川 はい、その通りです! 表参道ヒルズが開業してすぐに、オーシャンズは創刊を記念したパーティの会場にうちを選んでくださった。本当に感謝しているんです。

編集部 ということはもしかして、荒川さんも施設側の責任者として当時、会場にいらっしゃったんですか?

荒川 はい。初代館長として見守らせていただきました。そして、そのイベントは表参道ヒルズで初めての華やかなイベントだったんです。

編集部 その節は大変お世話になりました! いくつか失礼があったような記憶も……。

荒川 失礼なんて何もありませんよ。

編集部 我々はガムシャラで何も記録が残っておらず。普通、こういう催しは記録として写真くらいは残すもんですが(恥)。

荒川 では、運営室で保管していた、このファイルの1ページ目をご覧ください。

編集部 あーーーーー! うちのパーティの記録がファイリングされている!

荒川 表参道ヒルズで開催されたイベント実績を社内資料として残しているんですが、すべての資料のトップに、保管されています。さすがにデータはなくて、残っているのはこの出力一枚だけ。なので、お渡しもできませんが(笑)。

編集部 感慨深いです。ありがとうございます!

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一緒に15年前にタイムスリップしてみよう

編集部 2006年に開業した表参道ヒルズは、どんなコンセプトで始まったんですか?

荒川 最も大切にしていたのは「文化商業施設」ではなく「文化商“住”施設」であることです。関東大震災後、復興計画の一環として建設された同潤会アパートがもとにありますから、そこが担っていた“住”の機能は残したい。アパートの織りなす風景は人々の心の情景でもありました。つまり、表参道の歴史そのものなんです。

表参道ヒルズのコンセプトを示すべく、開業前に作られた資料には、しっかりと「文化商住施設」とある。安藤忠雄先生のスケッチと、荒川さんの手作り資料である。

編集部 手元の資料にも、しっかり書かれていますね。そして荒川さんのお手元にある、当時のテナント向けのパンフレットはおよそ商業施設のそれとは思えません。まるで住宅のパンフレットのよう。

表参道ヒルズの下にはまだ“完成予定”とある。

荒川 文化商“住”施設であることを強調したかったからですからね。

編集部 ターゲットにはO・TO・NAとあります。オーシャンズもまさに「大人」に向けて創刊しました。

荒川 O・TO・NAとアルファベットにしたのは、実年齢ではなく“生き方年齢”として考えていたからです。オーシャンズさんがコピーにされている“37.5歳”も近い感覚かもしれません。

編集部 37.5歳は、あくまで精神的なマインド年齢をイメージしていました。「大人」である一方で「少年性」も忘れていない、それを37.5という数字で表しましたけど、そこには20代も40代もいるイメージです。

オーシャンズが“37.5歳”を謳った特集の数々。
“37.5歳”を謳った特集の数々。

荒川 まったくそのとおりです。15年前、開業に向けてさまざまな方のお話を伺いました。ビームス代表取締役・設楽 洋さまや編集者・石川次郎さまには、実年齢とは違う若々しさがあった。それが“少年性”とでも言うんでしょうか。それこそまさに「マインド年齢」だと思います。

編集部 そして満を持して開業。なんですが、表参道ヒルズの誕生は……失礼を承知で言えば……いや、言うのやめます。

荒川 なんですか? どうぞご遠慮なく(笑)。

編集部 いや、えっと、実は、オープンすらも“大人”しかったような……すみません!ごめんなさい!

荒川 あー、それなら良かった(笑)。

編集部 へ?

荒川 我々が最も言われてうれしいのは、今のような言葉です。「表参道ヒルズって、ずっと前からあったような感じだね。」と思われていたら最高です。

編集部 え?

荒川 先ほども言いましたが、表参道ヒルズはいかに街に調和できるかを大切にしてきました。歴史的な趣のある場所にドーン!と華やかな場所が誕生したと思ったら、いつの間にか盛り下がる。そんなのは望んでいませんから。なんなら、開店セールすらやりませんでしたよ。

編集部 なるほど! でも、ビジネスとしてはとても勇気のいる決断。よく会社がそんなことを許してくれましたね(笑)。

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表参道の変わった点、変わらない点

編集部 荒川さん個人の原宿・表参道デビューはいつ頃ですか?

写真は28歳頃の荒川さん。テレ朝通りにあったジャスバーDO・DO・Birdサッカーチームのキャプテンを務めていた。

荒川 初めて原宿に来たのは10歳の頃です。私は茨城出身で、毎年夏休みになると叔父がいる千駄ヶ谷に来るのが楽しみでした。

編集部 というと“原宿・表参道歴”は……。

荒川 45~46年ですかね。本当の意味でお店に通うようになったのは予備校生時代ですけど。

編集部 15年どころじゃないですね。筋金入りの原宿・表参道ラバー。

荒川 そうかもしれませんね(笑)。

編集部 では、かつての原宿・表参道を知る人として、当時と今でいちばん変わったことは?

荒川 明らかに変わったのはショップの数です。裏原なんていう言葉は当然ありませんでしたし。また、お店の個性も変わりました。今は外資系のブランドのショップがどんどん増えて、東京ローカルな感じがなくなり、インターナショナルなエリアになったとは思います。

編集部 逆に、変わっていないことは?

同潤会アパートの様子
夜、雪が降って、「絶対にきれいな風景になっている!」と表参道に駆けつけた荒川さんが撮った同潤会青山アパート(今の表参道ヒルズ)と表参道の様子。写真の日付は1998年1月9日だ。

荒川 やはり、人の温かさでしょうか。原宿・表参道はかつて「住」の場所でしたから、当時知り合った、おじさん・おばさんが今も元気でいらっしゃって「大きくなったねぇ〜」なんて、声をかけてくださることもしばしばです。

編集部 なるほど。

荒川 それに原宿・表参道で暮らす方々は、ご自分の所有する建物を新しく事業を始めようとする若者に貸し出されていることが多い。もちろん、適性な価格で。これは若者たちを応援・支援する真心であり包容力にほかなりません。

編集部 そのおかげで、ストリートカルチャーが発展してきたんですね。

荒川 はい、その通りです。そういった人の温かみも継承していかなければいけません。歴史は、僕の45年どころか101年目が始まっているんですから。

編集部 昨年の明治神宮鎮座100年ですね。

特設サイトには、さまざまなスペシャルコンテンツが格納されている。

荒川 明治神宮鎮座百年祭の奉納・奉祝事業として、2020年度はさまざまな取り組みをしましたが、残念ながらコロナ禍で十分とはいえず。本当は、表参道ヒルズとしてファッションで奉納をしたかったんです。まだ諦めてはいません。

編集部 ファッションで奉納! 興味あります! 何かご一緒できることがあればぜひ!

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象徴的なブランド・店舗の存在と客層の変化

編集部 ちなみに、この15年で客層に変化はありましたか?

荒川 オープン当初は比較的、年齢層が高かったんですが、今は少し若くなったかと思います。いわゆる、ニューファミリーと呼ばれる人たちが増えましたね。20代の頃に原宿・表参道で遊んでいた方々が、結婚して、お子さま連れで再び遊びに、散策に戻ってきている。そんな印象を感じます。

編集部 ニューファミリー層! オーシャンズには「街角パパラッチ」と題した看板特集があるんですが、取材班の間でも表参道ヒルズ付近は本当にお洒落なファミリーをスナップできると評判です。

オーシャンズ が初めて「街角パパラッチ」を実施したのは9月号
初めて「街角パパラッチ」を実施したのは2010年9月号だった。

荒川 象徴的なのは、機能性とファッション性などを兼ね備えたザ・ノース・フェイスさまではないでしょうか? この界隈に、メンズやギアだけでなくキッズもレディスも店舗が揃っている。環境問題も取り組んでいらっしゃる。いつの時代もこのブランドが大好きな人たちが、表参道ヒルズでもたくさんお買い物をしてくださっていると感じています。

編集部 確かに、15年前よりも、街を歩く“流れ”ができている気がします。

荒川 個人的には、表参道ヒルズの向かいにある商業施設ジャイルの存在も大きいと思っています。CDGやメゾン マルジェラなどの感度の高いお店や、そしてHAYTOKYOなども入居され、アートカルチャーの提案施設があることでの相乗効果は大きいはずです。

 

15年の歴史で最も印象深いこと

編集部 荒川さんにとって、この15年で最も印象深い取り組みは何でしょう?

荒川 2009年に実現した、表参道のケヤキ並木イルミネーションの復活です。皆さまとともに協力して実現できたことが今でも誇りです。当時の表参道ヒルズで働いていた社員が本当に頑張ったんです。

冬の風物詩として戻ってきたイルミネーション。

編集部 当時、11年ぶりの復活としてニュースになりましたね!

荒川 電飾はケヤキの木を傷めるのでは?という声に対して学術的に影響がないことを証明したり、本当にたくさんの課題をクリアしてこぎつけた復活でした。当時は明治神宮入口から青山通りまでの約1kmに並ぶ約140本のケヤキに、63万個のLEDを点灯しました。

編集部 となると、開業からわずか3年でその偉業を達成したんですね!

荒川 はい。以来、毎年続いています。いつも準備は本当に大変ですが、最高のご褒美はテスト点灯。真夜中に歩道橋の上から見る、パーーッ!とライトアップされる瞬間はもう言葉にできません。その瞬間を見るたびに、この仕事をやっていてよかったなと思います。

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16年目の表参道ヒルズが抱く野望とは?

編集部 最後に、ズバリ今後の野望を聞かせてください!

荒川 いろんなイベントを仕掛けたいですね。例えば、以前のモリハナエビルの地下にあった、アンティークマーケットを歴史ある場所で提案してみたい。朝市、蚤の市とか……街全体がマーケットになるイメージです。

編集部 それは楽しそう!

荒川 もっと踏み込んで言えば「歩行者ファースト」の街に進化・新化させたいです。

編集部 「歩行者ファースト」といえば、開業間もない頃に見た、ファサード一面にジュリアン・オピーの作品を使ったイベントを思い出します。現代アートが歩行者の風景とひとつになっていましたよね。

ジュリアン・オピーの作品が、街ゆく人たちとシンクロする作品。

荒川 そうですね。「歩行者ファースト」の進化・新化とはつまり、ストリートカルチャーの“深化”であり“清化”と言うこともできます。

編集部 “清化”(しんか)?

荒川 神宮の森の前にあるこの街が、もっと清らかで美しい場所でもあるように。そうした活動を推し進めていきたいですね。

編集部 エキサイティングでクリーンで、環境にも優しい。それが、16年目の表参道ヒルズが目指す姿なんですね。

荒川 およそ100年前、神宮の森を作った先人たちはきっと未来を想像したと思います。ならば、私もできることを精一杯やっていきたい。この素晴らしい街を10年後、20年後、そして100年後、ずっとファッションの街であるために。この素晴らしい欅並木をずっとずっと残していくために。

 

安部 毅=文

# 15周年# 表参道ヒルズ
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