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2020.10.11

ライフ

海の多様性をつなぐ水中写真家・古見きゅうの想い「移ろう時間の証人として見続けたい」

海岸に流れ着いたひとつの椰子の実。ここから民俗学者の柳田国男は日本人の起源について思いを馳せ、その話を聞いた友人の島崎藤村は一編の詩を書いた。
それは日本を代表する唱歌となり、今も歌い継がれ、柳田は最後の著作『海上の道』で「四面海をもって囲まれて、隣と引離された生存をつづけていた島国としては、この海上生活に対する無知はむしろ異常である」と説いた。
きっとその椰子の実が、古見さんの前にも漂着したのだろう。この夏「JAPAN’S SEA」と名付けた写真展を開催し、これまで20年以上にわたり、撮り続けてきた日本の海の姿を発表した。
古見きゅう●水中写真家
古見きゅう●1978年、東京都生まれ。和歌山県串本でダイビングガイドとして活動後、写真家として独立。新聞、週刊誌、科学誌をはじめ、多くの媒体で作品を発表している。著書も『WAO!』(小学館)、『THE SEVEN SEA』(パイインターナショナル)、『TRUK LAGOON』(講談社)など多数。
「きっかけは、海外で日本の海について聞かれることが多く、流氷があり、珊瑚礁も豊富と説明していたら改めてその面白さに気付いたんです」と語る。だが1カ所を定点観測することはあっても、日本を取り巻く多彩な海を撮るのは珍しい。
「日本の海をテーマにした水中写真はこれまでもありましたが、それは日本だけで終わっていたんです。でもルーツをたどれば、北はロシアのアムール川の流域から植物性プランクトンを多く含んだ流氷が流れ着き、それが食物連鎖の始まりになります。
南であれば、アメリカ大陸から赤道の上を通ってきた赤道海流がフィリピンに到達し黒潮になり、そこで産卵した珊瑚が日本にたどりつき、豊かな珊瑚礁となったわけです。そのダイナミズムが生んだ、世界的に稀少な自然環境に囲まれているということを知ってもらいたかったのです」。
フィリピンに多く生息し日本にはいないはずのメラネシアン・アンティアスをたった一度だけ石垣島で発見し「海ってつながっているんだ」と興奮したり、個展直前の最後の撮影ではまさか間近で撮れるとは思っていなかったスナメリがまるで開催を祝すかのように現れたり。
すべての作品に海の多様性とそれに向き合ってきた古見さんの物語がある。だがその姿も変わりつつある。

「かつては見られたものが失われてきました。珊瑚であったり、沖縄・辺野古のサンゴももう埋め立てられてしまっています。移ろう時間のなかで僕らは生き、それを僕は記録している。証人と言うのは大げさですが、僕はそうやって生きていきたい。しっかりと、ちゃんと見ていきたいんです」。
人間にとって海中は閉ざされているようでも、そこには豊饒の世界が広がる。それを知り、楽しむことによって、知られざる世界は扉を開き、多くの気付きが得られるだろう。
古見さんのクリエイティブは、海とそこに生きる生物と人間をつなぐ懸け橋になる。それは椰子の実なのである。
 
川西章紀=写真(人物) 柴田 充=文


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