37.5歳の人生スナップ Vol.126
2020.08.11
LIFE STYLE

「飲みたいビールがないなら作ればいい!」。DIYから生まれた高尾ビール

「37.5歳の人生スナップ」とは……

WEBディレクターとしてサラリーマン生活をしながら、山が好きすぎて都心から山の麓に引っ越しをした前編

後編は移住した高尾で、自分の好きな暮らしを叶えるために動き出した話から。

 

自分の暮らす街だから、自分で楽しくしよう

誰かが始めるに違いないと思って待てど暮らせど、うまいビールが高尾の街で飲めるようにはならなかった。それで次第に、自分でビールを作るということに池田さんは興味を持ち始めた。「醸造所を作るなんて大それたことをやるつもりはなかったんです」と、池田さんは言う。

「せっかくの高尾山という観光資源を持ちながら人が滞留しない街はもったいない、どうせ自分も暮らしてるんだから楽しい街にしたい。そういう想いが、ビールを自分で作ったらどうだろうと考え始めたきっかけのひとつでした」。

もうひとつ、「飲む」から「作る」へ彼の興味を転換させるものがあった。話は池田さんが影響を受けたアメリカのロングトレイルとクラフトビールに戻る。

トレイルとクラフトビールが盛んな場所といえば、例えばサンフランシスコ周辺、オレゴン州ポートランドなどだ。どちらかというとリベラルな気質で、多様性がある都市。そして、欲しいものは自分の手で作って暮らしを豊かにしようというDIY精神に溢れている街だ。

「アメリカのそういうDIY精神に触れて影響を受けていると思うし、それが自分の中のひとつの軸になっていると思います。だから、おいしいビールを飲みたいけどない、じゃあ自分で作ってみるか、という発想になったのかもしれません」。

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調べて学んでいろんな人の話を聞いて、不安をつぶした

そして池田さんは、自分でビールを作るにはどうすれば良いか、ということを調べた。しかし、「普通の社会人が転職で入り込める世界ではない」ことがわかった。社会人が醸造を学べる学校はなかったし、未経験の社会人が就職して修行できるビール会社もなかった。日本では。

「じゃあ、クラフトビールの盛んなアメリカならどうかなと調べてみたら、あったんですよ。しかもオンラインで学べる社会人向けのコースが。よし、とにかく学んでみよう!と思って受講を始めました」。

そうしてポートランド州立大学のサーティフィケイト(修了証書)を取ったのが、2017年2月。3月にはアメリカに渡り、カリフォルニア州バークレーの醸造所にて実習でビール作りを学んだ。それでも、ビール醸造所を始めるかどうかは、まだ自分の中で確かではなかった。

「場所、お金、技術については、見通しが立ったのですが、やるならばどれくらいの規模でやればいいのかということはいちばん悩みました。それで、醸造所をやっているいろいろな人に会いに行ってお話を聞いたんですね。

それである方に言われたのが、『好きというだけで小さく始めるとすぐ行き詰まるよ。家族を養える規模にしなさい』ということでした。それでプランを練り直して、当初想定していたよりひとまわり大きくしたんです。そうやって、いろんな人の話を聞いて、不安をつぶしていくことで、『よし、醸造所をやろう』と心が決まりました」。

幸い、バークレーの知り合いから、探していた機材を売りたい人がいると教えてもらい、購入することができた。そうやって準備を整え、高尾ビールが始動したのは、ちょうど池田さんが37.5歳の頃だった。

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ビールを通じて出会った人と、活動を広げていきたい

「最初に大変だったのはセールスルートを確保することでした。作る量が決まって税務署に酒造免許の申請に行ったら『売る場所は? 買ってくれる人を探してきなさい』と言われまして。そこを考えてなかったんですよ。それで地元の酒屋さんたちを招待して試飲会を開いて注文を取り、再度その注文表を持って税務署に免許の申請に行きました」。

足を運んだり、会って話したり、自らの体を動かないと何も進まない。システムを使って効率を追い求めていた前職とはまったく違う、どろくさいワークスタイルだ。

ただ、プロジェクトを完遂して相手に喜んでもらうというゴールは、ビール造りもWEBの仕事も同じ。それを達成するためにすることが、ガラリと変わったのだ。

「仕事の合間に山に登ったりするのも、高尾でビールを作って売るものとして、高尾のアウトドア遊びの感覚を常にフレッシュにしておきたいという目的もあるんです。一方で、都会でのインプットも心がけています。週末に都心へ行って今いちばんヒップな場所をチェックしたり、飲食店ではどういうお客さんがどういうものを食べているのかチェックしたり。やっぱり都会も好きなんで、それも楽しいんですよ」。

平日は山の麓に暮らし、週末は都会へ。ワークスタイルだけでなく、ライフスタイルも以前の暮らしの真逆になった。

「考えてみたらそうですね。でも、えいっと思い切って真逆の暮らしを選んだわけではなくて、“ヘルシー”な選択、つまりうしろめたさがなくて無理がなくてワクワクする自分にとって健全な選択をしていったら、結果こうなったという感じです」。

最近、池田さんがした“ヘルシー”な選択は、タップルームを始めたこと。昨年の9月に高尾駅北口にオープンした「ランタン」だ。

2017年から高尾で営業している「ミハラキッチン」という和食店と空間をシェアする形で店を構えているので、シーズンごとのクラフトビールと季節のおいしい料理とのコラボレーションも楽しめる。

「以前、駅前のホテルのダイニングを借りて、月イチでビールスタンドをやっていたんです。そこでも料理を提供してもらっていたのが、ミハラキッチンさんでした。高尾ビールを通じて、モノ作りに取り組んだり、飲食業を頑張っている人たちや同じアンテナを立てている人たちに出会うことで、新しく展開していくのは魅力的だし面白い。

実は同じように出会ったデザイナーや印刷会社に勤める友人と小さな雑誌も作っているんです。そんなふうに、高尾山の麓であるここの暮らしを発信することもしていきたいな、と思っています」。

ビールも高尾の街も、池田さんの理想の“醸造”はまだ始まったばかりだ。

池田周平(いけだしゅうへい)●1980年北海道札幌市生まれ。大学時代からエンジニアとしてWEB制作に携わり始める。卒業後はデザイン会社や広告会社にて働く。2017年に、働きながら、ポートランド州立大学(アメリカ オレゴン州 ポートランド)ビジネス オブ クラフトブリューイング科を修了。続いて、ホイポロイ ブルワリー(アメリカ カリフォルニア州 バークレー)醸造プログラム修了し、同年中に高尾ビール株式会社を設立。自社商品の開発・ブランディング・販売を自ら手掛ける傍ら、国内ビールメーカーのクラフトビール商品のブランド戦略やプロモーション企画なども手掛けている。2019年9月に高尾駅前にタップルーム「ランタン」をオープン。www.takaobeer.com

「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

川瀬佐千子=取材・文 中山文子=写真

# 37.5歳の人生スナップ# ビール醸造家# 高尾ビール
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