「20代から好かれる上司・嫌われる上司」とは……女性が活躍していない国、日本
先日、私が採用をしていた頃に入社された女性がリクルートホールディングスの取締役になられたというインタビュー記事がありました。別に私がすごいわけでもなんでもないのですが(笑)、とてもうれしく思いました。そもそもリクルートには男女の差別どころか区別すらほとんどありませんでした(良し悪しは別として)。
そんなリクルートでも、女性が役員になるのはなかなか難しく、ニュースになるというわけですから、日本全体の女性活躍の現状も推して知るべし。最新の世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数」においても、153カ国中121位(前回は149カ国中110位)というのもさもありなんです。
日本は、未だに女性の能力を活かしきれていないというのは事実とせざるをえないでしょう。(参考:
内閣府男女共同参画局HP)
取り組みをしていないわけではないのに
ただ、難しいのは、上述のようなことは誰でも知っており、しかも「ダメなこと」という認識もあり、対策も取ってきているのに、この体たらくだということです。
古くは、男女雇用機会均等法がありますが、これも施行後すでに30年以上経ちます。ダイバシティ&インクルージョンというかけ声も広く浸透し、出産などのライフイベントの多い女性が働きやすいような、多様な働き方を受け入れる姿勢も続いています。
近年の「働き方改革」の一連の施策も、目的のひとつに女性の活躍があります。ほかにもさまざまな女性活躍を推進するような動きがあるのに、なぜこのようなことが起こってしまうのでしょうか。
ポジティブ・アクションの功罪
よく言われているのは、女性に対するポジティブ・アクション(改善措置)の副作用というものです。これまで虐げられてきた人々の地位向上を図るために、ポジティブ・アクションは必要なことです。しかし、慎重に行わなければいろいろな副作用があります。
例えば「逆差別」。女性の管理職比率を高めることを目的として、積極的に女性を登用すれば、ある種の男性からは「本当は俺が昇格するはずだったのに、差別だ!」と思われることもあるでしょう。
また、属性を重視して何かを行うことは、能力を軽視することにもつながります。これが、先の差別意識とつながれば、「能力がないのに、女性という理由だけで厚遇される」という誤った意識になり、女性への差別意識がむしろ蔓延してしまう可能性すらあります。
2/3