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2019.09.09

ライフ

非日常を体験した2代目バチェラーの現在。オワコンにならないための決断【後編】

【前編】を読む
ハイスペックな独身男性『バチェラー』を巡って、複数の女性が駆け引きを繰り広げる番組『バチェラー・ジャパン』。2代目バチェラーを務めた小柳津林太郎さん(37歳)は、当時勤務していたサイバーエージェントを休み、運命の相手を探す3カ月間の撮影期間を過ごした。
昨年まで完全な一般人だった小柳津さんだが、『バチェラー』出演によって、一気に知名度は全国区になり、仕事も私生活も変化を余儀なくされたという。
小柳津林太郎さん
「バチェラー出演後は、生き方の選択肢が増えました。これまでは著名人をキャスティングする側だった自分が、広告やプロモーションに使われる側になった。その変化もあり、今後の身の振り方について考えるようになりました」。
演劇の世界にハマるなど、もともと表舞台に出て自分を表現することが好きだった小柳津さん。夢のまま終わっていた役者の道に足を踏み入れるか、はたまた初代バチェラーのように起業しベンチャー社長として歩むのか……無限に広がる可能性を前に、小柳津さんはより自由な選択ができる道を選んだ。それが、今年2月に13年勤めたサイバーエージェントを退社したことにつながっていく。
「これまでは会社の看板を背負って仕事をしていましたが、そろそろ自分の看板でチャレンジしていこうと。今は目標をひとつに絞るのではなく、やりたいことをマルチにこなせる人間になりたい。ビジネス的にもコンテンツ的にも、自分がバチェラーだけの人間としてオワコン化するのはイヤなんです」。
 

「決断」を正解に持っていく努力

バチェラーという自分の知名度も可能性も底上げした番組だけの「一発屋」で終わるのではなく、バチェラーを超える人物になりたい。その思いが小柳津さんを独立に駆り立てた。
しかし、大企業からの離脱という大きな岐路である。「決断には後悔がつきまとうと思いますが」と聞いたところ、そんなイメージを彼自身はまったく持ち合わせていないようだ。
小柳津林太郎さん
「人生で本当に必要なことは『決断』ではなく、決断を正解にするための『努力』だと思います。キッカケなんてなんでもいい。それに、決断してしまったら終わり、ではない。決めても、また決め直せますから。もし間違っていたと思うならそれを認めて、また決め直せばいいだけじゃないですか」。
大事なのは、道を決めることではなく決めたあとの努力。そう言い切るからこそ、自身の選択で後悔したことはほとんどないという。実際、彼は「バチェラー」で最後に結ばれた女性と、放送終了後は別の道を歩むことを決めているが、そこに一切の後悔はないように見えた。
「決断したほうを、自分で正解に持っていけばいいと思っているから決めることには抵抗がない。それでも迷ったときやなんか違ったな、というときは自分の本質に立ち返ることが大事だと思います」。
小柳津さんでいえば、それは「自己表現の追及」であり、個性を大事にして生きていくことだった。自分らしさをより叶えられる場所へ。小柳津さんは、そのスタート地点にいま立っている。今後はどんな活動を考えているのだろうか。
「まず、ハイブリッドサラリーマンズクラブというオンラインサロンを8月から立ち上げました。組織人をまっとうしながらも二足三足のわらじを履き、パラレルキャリアを選択している人の背中を押したいな、と。今後はそれが両立できる時代に突入するし、僕自身も会社の顧問をしたり今後もプロジェクトベースでサイバーエージェントと関わったりしながら、自分にできる働き方を叶えていきたいと思っています」。
ハイブリッドサラリーマンズクラブ
すでにサロンメンバーは100人を越える。目指すは1000人、1万人の大規模サロンだ。人生100年時代、働き方や生き方について悩み模索する男性のための後押しができるサロンになれば、と願っている。個性を大事にする小柳津さんらしい選択だった。最近はYouTubeチャンネルも本格的に始動。『バチェラー』を越えるべく、さまざまな活動に挑んでいるのだ。
「今後は会社経営に時間を割いていくと思いますが、僕らの会社にしかできない表現、サービス、プロダクトを作っていきたい。ダサいことはしたくない。とはいえYouTubeはなかなか難しいですけどね(笑)。いまは後々いい味を出すための鍛錬の期間なのかなと思っています」。
20人の女性から、たったひとりの女性を“決めた”バチェラーは、どこまでも前向きに、潔く決断を繰り返していた。
 
澤田聖司=写真 藤野ゆり(清談社)=取材・文


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