37.5歳の人生スナップ Vol.56
2019.05.14
LIFE STYLE

クワガタを愛するプロレスラー・垣原賢人が今日もマスクを被るワケ

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大好きなクワガタを通じて自然の大切さを伝えるために活動をしているプロレスラー・垣原賢人。
大好きなクワガタを通じて自然の大切さを伝えるために活動をしているプロレスラー・垣原賢人。

子供の頃、日が暮れるまで昆虫採集に没頭したあの日々を覚えているだろうか。

あの頃、僕らの好奇心は間違いなく、バッタやトンボ、蝶、そしてカブトムシやクワガタなどの昆虫に向けられていた。特に発達したツノを持つカブトムシや大顎を持つクワガタの格好良さに、強い憧れを抱いた読者も多いのではないだろうか。

思えば、僕らの好奇心は時の流れとともに変わっていった。森が切り開かれ、あらゆる場所がアスファルトで舗装されることに違和感を感じることもなく、新しいモノや新しい娯楽に夢中になった。その便利で快適な暮らしの中で、僕らは昆虫を忘れてしまったのだ。

だが、そんな時代を生きてきたにも関わらず、幼い頃からこれまでずっと昆虫に好奇心を持ち続け、ついにそれを職業にしてしまったスゴイ男がいる。プロレスラーの垣原賢人(47歳)だ。

長尾 迪=本人提供写真


プロレス界からの引退そして、第二の人生へ

2006年、当時新日本プロレスの看板選手として活躍していた垣原は、5月28日に多くのファンに惜しまれながらプロレスの世界から身を引いた。プロレスの聖地・後楽園ホールでの引退試合。ライバル選手との最後の一戦を終えた垣原は、リング上でマイクを握って次のように語り、17年間の現役生活を締め括った。

長尾 迪=本人提供写真

「1989年にUWFに入門してから17年、プロレス界でたくさんのことを学びました。いいこともたくさんありましたが、たび重なる団体の崩壊や怪我などで本当に苦悩した現役生活だったと思います。でも、今日こうして素晴らしい引退試合ができ、僕のプロレス人生、ハッピーエンドだったと思います。今まで長い間、応援ありがとうございました」。

プロレスの世界にはボクシングのようなコミッショナー制度がないため、第三者にプロのライセンスを剥奪されたり引退勧告を受けることはない。このため、プロレスラーは引き際が非常に難しいと言われている。特に人気選手が引退するとなれば、プロレス興行の集客に大きく影響しその経営に大打撃を与える。新日本プロレスの人気選手だった垣原は非常に難しい決断を余儀なくされたが、プロレスラーの命とも言われる首の怪我を誤魔化しながら続けることはできないと考え、34歳の若さで引退を決断したのだった。

長尾 迪=本人提供写真
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昆虫ヒーロー・ミヤマ☆仮面の誕生

そんな垣原が次の職業に選んだのは、なんと“クワガタ”だった。

垣原は現役時代から時間を見つけてはクワガタ採集のために森林に出かける、根っからのクワガタマニアだったのだ。北は北海道、南は沖縄、ときには離島にまで出向いてクワガタを探し歩いた。さらに国内だけでは飽き足らず、インドネシアのジャワ島やスラウェシ島にまで足を伸ばしていたというから驚きだ。

確かに改めて引退試合の映像を見ると、試合後にリングでマイクを握る垣原はクワガタのイラストがプリントされたTシャツを着ていた。

だが、いくらクワガタが好きだからといって、普通の大人ならクワガタを職業にしようとは思わないだろう。しかも、垣原は引退した当時、既に2人の幼い子供を持つ父親でもあった。クワガタを職業にして家族を養うことに対して、不安はなかったのだろうか。

「もうコレだ! としか思えなかったんですよね。引退前に、クワガタに力比べをさせるイベントを開いたことがあり、それを本格的な興行にできないかと考えました。プロレスのときもそうですけど、好きなものには一直線に突き進んでしまうんです。ただ、引退前に長期欠場していた頃は、本当に辛かったですよ。首の怪我は、プロレスラーとしてはクワガタが羽根を失うようなものですから」。

引退前の怪我に苦しんでいた頃の垣原は、ミクラミヤマクワガタという伊豆諸島にしか生息しない珍しい種類のクワガタに強い関心を寄せていた。

このクワガタの移動手段は歩行のみ。ゆえにほかのクワガタのように樹液に集まることもない。垣原は、飛ぶことを諦めたクワガタに自らの姿を重ね合わせながらも、再び自分が飛ぶことを夢見たのだった。今度は自らがクワガタの化身、昆虫ヒーロー・ミヤマ☆仮面となって。

後編へ続く


瀬川泰祐=取材・文

# 37.5歳の人生スナップ# クワガタ# プロレスラー# 垣原賢人# 闘病
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