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2019.03.13

あそぶ

【後編】階級の壁を超えて五輪を目指す。格闘家・菊野克紀の求める「強さ」

テコンドーで2020年東京五輪出場を目指す格闘道家・菊野克紀さん。
テコンドーで2020年東京五輪出場を目指す格闘家・菊野克紀さん。
前回の続き

テコンドー第一人者のひと言から始まった東京五輪への道

34歳でフリーの身となった菊野は、日本の格闘界に凱旋し、再び連勝街道を走り始める。そんななか、菊野の競技人生にとって大きな転機が訪れる。
ある交流の場で、シドニー五輪のテコンドー女子67kg級銅メダリスト・岡本依子氏と出会った際、彼女から予想外の言葉をかけられた。
「菊野くん、(テコンドーに)出ぇへん?」
彼女は、現役時代の実績はもちろん、引退後は指導者としても活躍し全国で競技の普及に努める日本テコンドー界の第一人者だ。そんな彼女のひと言を、菊野はすぐに理解することができなかったという。
「最初はよく分からなくて、声をかけられた瞬間は“へ……?”って感じでしたね(笑)。でも、岡本さんからテコンドーについて詳しく話を聞いていくうちに、面白いんじゃないかって思い始めたんです」。
総合格闘家の菊野でも、テコンドーの大会で実績を残せば正式種目として採用されている東京五輪への出場を目指すことができる。これまでの人生で「五輪」というワードを意識したことがなかった菊野にとって、テコンドーへの挑戦は、あまりにも魅力的な選択肢だった。
「五輪を目指すなんて僕のビジョンには全くなかったんですけど、2020年以降にまた東京で開催するなんて、生きてるうちには無いかもしれない。そう考えたら、僕がまだ現役で、しかも選手として一番強い今の時期に出られるチャンスがあるんだったら、やるしかないと」。

 
菊野を阻んだ“ルールの壁”
さっそく菊野は、テコンドー強化委員長である小池隆仁氏が代表を務める道場「憲守会」で稽古に励むようになる。総合格闘技の練習と並行しながら、毎週月曜と金曜の2日間をテコンドーの修行に費やした。そして2017年10月には、全日本テコンドー選手権東日本地区大会でデビューを飾ると、初参戦にも関わらず80kg級で優勝。翌年1月の全日本選手権大会でも快進撃は続き、なんと準優勝という衝撃的な結果を残した。

この結果により、菊野はテコンドーの強化指定選手にも選ばれ、自らのポテンシャルを証明したように見えた。だが、2018年7月に、本場韓国で行われた国際大会「2018コリアオープン」で、菊野の前に再び大きな壁が立ちはだかる。菊野の対戦相手は195cm。身長差25cmの大男だ。
テコンドーは、相手の足を蹴るローキックや、顔へのパンチは禁止されているため、蹴ってポイントを稼ごうにも、顔にはまず届かない。また、相手の腹部ですら、身長170mの菊野の顔付近にあるから当てることは難しい。必然的に、菊野がポイントを取る手段は、腹部への突きによる攻撃に限定された。だが、分厚いボディプロテクターがある上に、腹部の守りを固められてしまいダメージを与えることはできない。ボクシングでいうボディーブローのように、腹部に手数を集め、スタミナを徐々に奪い長期戦に持ち込むという策に出るしかなかった。勝てる確率のある唯一の方法で立ち向かった菊野だったが、試合はまさかの結末で幕を閉じることになる。
「2ラウンド開始早々、コールド負けみたいな形で終わってしまったんです。これ以上は危険と判断されたのか、大きくポイント差が開いた時点で審判に負けを宣告されてしまった。僕は致命的な攻撃を喰らったわけではないし、ダメージは全くなかったんです。これもルールなのですが、これで試合を止められるんだったら“勝ち目はないな”って。五輪競技のルールに適応する、その難しさを身をもって痛感しました」。

 

1%でも可能性がある限り、全力で挑戦し続ける

だが、強さを追い求める菊野は、そう簡単に目標を諦めるようなヤワな男ではない。
テコンドーは通常の大会では男女各8階級で行われるが、五輪では男女各4階級と半分に絞られる。その中で国の代表として本戦への出場を勝ち取るには、国内で1位の座を掴んでも意味がない。五輪が開催されるまでの4年の間に国際大会で結果を残し、それらの合計ポイント の上位選手や国際大会の優勝者などの世界で16人の選手のみが、夢の舞台への切符を手に入れることができるのだ。
つまり、ポイントレース期間の途中から参加した菊野は、正攻法で五輪を狙うことは難しい。だが、開催国枠が2枠あり、4階級のうち2階級でそれぞれ1人ずつ出場することができる。そのためには、国内でトップを狙うのはもちろん、国際大会で「勝てる」選手にならなくてはならない。
そこで菊野が決断した選択は、強化選手になった80kg級ではなく、オリンピック階級であり身長差も少ない68kg級への変更だった。
「世界でメダルを取れる可能性は、もうここにしかありません。減量は厳しいですが、ここまで来たらやるしかありませんから」。
それは、常に敵と、そして己と闘い続けてきた菊野らしい決断だった。五輪への道は、いばらの道だ。出場できる可能性は限りなく0に近い。だが菊野は、「この挑戦にはワクワク、ドキドキがある」と言う。強さを追い求め続ける菊野だからこそ、過酷な試練をも楽しめるのだろう。
 

子供たちに見せても恥じない、かっこいいヒーローへ


その後もテコンドーや総合格闘技の練習に勤しむ菊野だが、2018年11月、自身が主催する格闘道イベント「敬天愛人(けいてんあいじん)」を鹿児島アリーナにて開催した。“親が子供に見せたい格闘道”というコンセプトを基に、ルールも企画も演出も、いちから作ったこのイベントを開催した経緯を、菊野はこう説明する。
「これまで学んだものを、次世代に伝えていきたいと思ったからです。格闘技って、野蛮なイメージありますよね。親も子供に見せたがらない。だからこそ、目の前で見て、実際に体験してもらい、格闘技や武道の素晴らしさを知ってもらいたい。そして、僕が競技生活で学んだ“勇気と感謝の気持ちを持つ大切さ”も伝えていきたいと思ったんです」。
菊野は自らを「格闘道家」と呼ぶ。それは、武道・格闘技の中にある良き人の在り方を示した「道」を大切にすべきだという考えを、より多くの人に伝える存在であり続けるためだ。
自らの活動を通じて、格闘の「道」を示していくという菊野は、イベントや教室で子供たちへの指導機会を増やしながら、生涯をかけて「ある夢」を叶えることを心に誓う。
「僕がジャッキー・チェンやドラゴンボールのようなヒーローに憧れたのは、弱い自分を変えたいと思ったから。子供たちに道を教える立場になり、恥じない生き方って何だろうって考えたとき、“道の究極はヒーローだ。ヒーローを目指そう”という結論に達したんです。ただ強いだけじゃなく、誰にでも優しくて、困っている人を助けることができる。そんな“守るための強さ”を持つ格闘道家。それが僕が思い描く理想のヒーロー像なんです」。
菊野は37歳になった今でも、強さの象徴である「ヒーロー」になることを夢見ている。これまで歩んできた格闘の「道」には、多くの壁が立ちはだかってきた。その度に壁を乗り越えることができたのは、幼い頃に抱いた劣等感をバネに「強くなりたい」と願ったあの日々があったからだろう。
誰にだって、思い出したくない過去や、劣等感はある。でも、それをバネにし、強みに変えることができたら、身近な誰かのヒーローになることはできるのかもしれない。

 
佐藤主祥=インタビュー 瀬川泰祐=写真・文


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