濃紺の空のキャンバスに開く大輪の火花。今どき、玉屋に鍵屋と掛け声する人もいないかもしれないが、今夏、大きな花火大会は、軒並み中止の様相だ。
ならば。我が家の小さな庭で、ベランダで、小さな火花を咲かせてみないか。そう、線香花火。それも国産の。
わびさびが生んだ火花の芸術をいざ知らん。
この夏は線香花火を知る
時は、バブル崩壊後の1998年。日本の物作りが、次々中国へと流出していった時代。日本の三大花火産地である、長野、愛知、福岡の線香花火工場がひとつ消え、ふたつ消え、最後の一軒が閉鎖して、国産線香花火もほかのプロダクト同様、絶滅したかに思われた。
が、ほぼ同時期に、その伝統を守るべく別々に動いていた人たちがいた。東京の花火問屋の五代目、山縣常浩さんと、福岡の花火製造所の三代目、筒井良太さんだ。
「山縣商店」は、大正3年の創業から100年以上続く老舗花火問屋。家業を受け継いでいた山縣さんは、問屋のつてを活かしつつ、製造技術を復活できる花火工場を訪ね歩いた。その結果、愛知県の三州火工という工場に出会い、研究開発を重ねた2年後に国産の線香花火を復活させた。
一方、福岡県で 約90年続く花火工場「筒井時正玩具花火製造所」を継いだ筒井さん。
線香花火は製造していなかったため、国内で製造していた最後の工房が消えるというそのときに、製造技術のいっさいの継承を願い出た。その修業で培った技術が今も、福岡で続いているという。
この有志たちによって、消えかけた火が再燃。国産線香花火として、ブランド化にも成功。特徴は、火球が大きく長持ちする点だ。
大輪もいいが、チリチリと弾けるこの一輪もいい。物作りの情熱を片手に新しい夏の宵を過ごしてはいかがか。
鈴木泰之=写真(静物) 松平浩市、来田拓也、平 健一、窪川勝哉=スタイリング 増山直樹、いくら直幸、髙橋 淳、小山内 隆、髙村将司、まついただゆき、今野 壘=文