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2019.04.08

ファッション

M996、キャンパス、スリッポン。歴史的傑作スニーカーの本当の魅力は何か?

服もクルマもスニーカーも、時代に淘汰されず歴史を紡いできたものこそが傑作たり得る。誰もが知る6ブランドの6足。その来歴を、専門誌「シューズ・マスター」(実業之日本社刊)の編集長でありOC世代の榎本一生さんと振り返る。

榎本一生
えのもといっせい●1976年、千葉県生まれ。2004年より年2回の刊行を続ける「シューズ・マスター」の編集長。趣味はラン。昨年の東京マラソンは3時間16分(!)で完走。
 
 
 

誰もが憧れるグレーの「MADE IN U.S.A.」
ニューバランスの「M996」

誰もが憧れるグレーの「MADE IN U.S.A.」 ニューバランスの「M996」
2万5000円/ニューバランス(ニューバランス ジャパン 0120-85-0997)
「M996」のタンラベルにはブランドロゴ、品番、そしてもうひとつ、その高い品質を証明する「MADE IN U.S.A.」の文字が刺繍されている。
「『M996』に限らないのですが、ニューバランスのアメリカ製モデルは桁違いのクオリティ。ヒールのフィット感が抜群でとても歩きやすいんです」と榎本さん。そして「MADE IN U.S.A.」の文字は若かりし頃より僕らの憧憬の的であると同時に、ニューバランスのブランドとしての誇りの表れでもある。
「M996」が発売された1988年当時、多くのスニーカーブランドは人件費の安いアジア諸国に生産拠点を移していた。しかしニューバランスは、自国アメリカでのモノ作りを続けることにプライドを懸けていたのである。
’82年に登場したニューバランス初の900番台モデル「990」の系譜に連なる「M996」は、卓越した衝撃吸収性を備えたランニングシューズとしてリリースされた。厚みのあるクッション素材を使用しつつも、「SL-1」という細身のラスト(足型)が作り出すスマートなシルエットは、ランナーのみならずファッション好きの注目を集める理由にもなった。
ニューバランス「M996」
「同じ’80年代後半に登場した『M576』に比べるとかなりスッキリした感じ。履いてみると差は歴然です。また“いかにもニューバランス”というグレーベースのアッパーもいい。ストリートに寄りすぎず、優等生的な着こなしにも向くスニーカーだと思っていました」と榎本さんは語る。例えばブレザーやキレイめのセットアップに合わせるという、それまでのスニーカースタイルの文脈(スポーツテイスト、アウトドア、古着など)にはない着こなしを生んだランニングシューズ、ともいえるのではないだろうか。
2019年の現在もアメリカ製を貫く「M996」。この先もアメリカブランドとしての誇りを失うことなく、我々を魅了し、足元を支え続けるに違いない。
発売当時の自社広告に見るアメリカ製のプライド

アメリカ生まれのスニーカーブランドが生産拠点をアジアに移していった’80年代後半の、ニューバランスの自社広告。「M996」の写真と文章だけのシンプルなビジュアルだが、「私たち自身(アメリカ)で作り、他メーカーと競っていく」と力強いメッセージを発信した。
 

サブカルチャーを支えた一足はいつしかブランドの顔に
アディダス オリジナルスの「キャンパス」

サブカルチャーを支えた一足はいつしかブランドの顔に。アディダス オリジナルスの「キャンパス」
9990円/アディダス オリジナルス(アディダスグループ 0570-033-033)
「キャンパス」が登場したのは1983年のことだが、デザインの源流を遡れば、’70年代初頭の「トーナメント」、’69年頃に発売されていた「フープ」に行き着く。どちらもローカットの、白の表革を使ったバスケットボールシューズである。「キャンパス」がそれらと大きく異なる点は「カラースエードのアッパー」を纏っていたことだろう。
発売当初は鮮やかなバーガンディ、くすんだグリーン、スカイブルーなどがラインナップされた。榎本さんも「白をベースカラーにしたデザインのイメージが強い『スーパースター』や『スタンスミス』と違って、『キャンパス』はツウが選ぶスニーカー、という感じ。カラースエードの見た目はそれまでにない個性を放っていたし、何よりビースティ・ボーイズを始めとした“イケてる”ミュージシャンたちが履いていたことも人気に拍車をかけた理由ですね」と分析する。
’80年代中頃のアメリカの音楽シーンは、ヒップホップ、パンク、メタルなど、既存のポップミュージックのさまざまな要素を融合した、オルタナティブな音楽が生まれ始めていた。当時の最先端のアーティストたちがユニフォームの一部のように履きこなしていた「キャンパス」は、人々に強烈な印象を残す。そして、ほとんど広告を展開せずとも、アメリカ中でファンを獲得していった。
アディダス オリジナルスの「キャンパス」
熱狂的なブームが去ってしまうと「キャンパス」は’88年頃に一度その姿を消してしまう。しかし、一部ファンの間で売れ残りの発掘ブームが起きる。そしてショップでも発掘された「キャンパス」が売り出された。ミュージシャンやスケーターたちの足元で、「キャンパス」は静かに生き続けたのである。
そして2001年、ついにアディダスは「アディダス オリジナルス」という新しいラインにおいて、「キャンパス」の再販を開始することになる。現在も、代々受け継がれてきたピッグスキンスエードをアッパーに纏い、新たなテクノロジーを搭載して、さらなる進化を遂げているのだ。もちろん、アディダスというビッグブランドにおける定番スニーカーのひとつとして。
1980〜’90年代に活躍したミュージシャンたちが愛用
© Photofest/Aflo
榎本さんの話にも出たビースティ・ボーイズは、メンバー3人がそれぞれネイビー、バーガンディ、スカイブルーの色違いの「キャンパス」を履いていた時期もある。そのほかジャミロクワイやリンプ・ビズキット(写真)など、多くのミュージシャンたちに愛されたスニーカーなのだ。
 

ヴァンズの名をメジャーに押し上げたもうひとつの代表作
ヴァンズの「スリッポン」

ヴァンズの名をメジャーに押し上げたもうひとつの代表作 ヴァンズの「スリッポン」
4700円/ヴァンズ(ヴァンズ ジャパン 03-3476-5624)
ヴァンズの前身「ヴァン・ドーレン・ラバー・カンパニー」が米カリフォルニア州アナハイムに誕生したのは1966年のこと。創業ほどなくして“スタイル44”、すなわちアッパーをラバーソールに圧着するヴァルカナイズド製法を用いたシューレース付きのキャンバスシューズ「オーセンティック」が誕生した。’70年代のスケーターたちが愛したヴァンズのクラシックといえるモデルだ。これをストリートが育てた傑作とするならば、’70年代後半に登場した「スリッポン」は、南カリフォルニアのスケーターから一般のユーザーまで、幅広い層によって支持されてきた傑作といえる。
一躍その名が知られるきっかけとなったのは、’82年に公開された映画『初体験/リッジモント・ハイ』(邦題)だ。主演のショーン・ペンが、劇中で「スリッポン」のチェッカーボード柄を着用したのである。加えて同作のサウンドトラックのジャケットにも起用され、大ブームを起こすことになる。これは「スリッポン」のみならず、ヴァンズというブランド自体をメジャーに押し上げた出来事でもあった。
ヴァンズの「スリッポン」
「足入れがスムーズでライニングも実にソフト。履いていて楽なこと、そしてシンプルなデザインであることが、現在まで高い人気を保ってきた理由だと思います。また多くのキャラクターやアーティストとのコラボレーションにより、多彩な柄がそのアッパーを飾ってきたことも『スリッポン』の特徴といえるでしょう」と榎本さん。確かにシューレースやハトメを持たない「スリッポン」は、まるで真っ白な“キャンバス”のように、企画チームやデザイナーたちのクリエイティビティを刺激するスニーカーなのかもしれない。
今日、キャンバススニーカーというジャンルの一角を占めるモデルとしてその地位を確立した「スリッポン」。海でラフに、街でキレイめに履けるこのスニーカーは、我々オーシャンズ世代にベストマッチの一足であると改めて確信。服も軽快になってくるこれからの季節、その魅力はさらに増すはずだ。
BMXライダーも注目したヴァンズのソール性能
ヴァンズは1970年代後半〜’80年代前半、BMXライダーたちにも厚く支持された。当時のポスターには「オールドスクール」「エラ」に並び「スリッポン」もフィーチャーされている。
ショーン・ペンが着用したチェッカーボード柄
© Photofest/Aflo
’82年に公開されたアメリカの青春映画映画『初体験/リッジモント・ハイ』で、ショーン・ペンが着用した(写真では手に持っているのだが)のがチェッカーボード柄の「スリッポン」だ。
 
鈴木泰之=写真 加瀬友重=文


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