2019.03.05
FASHION

三原康裕の特別な10足は「まず音楽とファッションがあって、そしてスニーカーがある」

スニーカー愛に溢れる男が語る「トクベツすぎる10足」とは?
オーシャンズ世代に捧げるスニーカー偏愛物語 vol.1

「メゾン ミハラヤスヒロ」デザイナー 三原康裕 さん Age 46

「メゾン ミハラヤスヒロ」デザイナー
三原康裕 さん Age 46
1972年、長崎県生まれ、福岡県育ち。多摩美術大学デザイン科テキスタイル学科在学中に独学で靴作りを始め、’97年に自身のブランドをスタート。2005年からパリをはじめ、海外でコレクションを発表し続けている。趣味はサーフィン。



メゾン メミハラヤスヒロとスニーカーは切っても切れない関係にある。ブランドのスタートは革靴だが、2000年から’15年にわたるプーマとのコラボレーションは誰もが知るところだし、自身のコレクションでもほぼ毎シーズン、スニーカーを作ってきた。

これまでデザインしたスニーカーは数百足に及び、これはきっと、多くのスポーツブランドのスニーカーデザイナーより多い数字だろう。そんな三原さんが、初めて小遣いを貯めて買ったのは、コンバースのオールスター(01)だった。

コンバースの「オールスター」
「漫画『ゲームセンターあらし』の主人公が履いていて痺れたんですよ。でも、改めて見ると彼が履いていたのはケッズっぽいかな(笑)」。

「福岡県に三信というアメカジショップがあって、そこに小遣いを握りしめて買いにいきました。小学4年生のときで、確か4000円くらいだったかな。『コロコロコミック』(小学館刊)に連載していた漫画『ゲームセンターあらし(※1)』の主人公がキャンバスのハイカットのスニーカーを履いていて、コレだ!と思ったのがキッカケです」。

それからしばらくして、三原さんはサーフィンを始め、大学生の“年上の友人”を通してディスコに通うようになる。『ソウル・トレイン(※2)』に感化された三原さんは、シャワーのようにブラック・ミュージックを浴び、ブレイクダンスに真剣に取り組んだという。小学5年生にして昼はサーフィン、夜はディスコとは何たるマセガキであろうか!

「ディスコに出入りしていたLA出身のアーティストが、いつも白にゴールドのスウッシュのナイキを履いていて、次にくるのはナイキだなって思っていました。で、いつものようにディスコに遊びに行ったら、常連の知り合いのお姉さんが、酔っぱらっていて『何か欲しいモノないの?』って聞いてきたので、『ナイキのエアジョーダン(02)』って即答しました(笑)。そしたら天神ビブレで本当に買ってくれたんです。発売されたばかりの1984年に! 誰も食いついてくれなかったけれど、このスニーカーはとにかく履きまくりました。今でもジョーダンはファーストがいちばん好きです」。

ナイキの 「ナイキ エアジョーダン 1」
「小学6年生のときにディスコで知り合ったお姉さんに買ってもらった初めてのジョーダン。甘酸っぱい思い出です」。

三原少年は、次にアディダス、ヴァンズ、リーボックに手を伸ばす。

「ファーストアディダスはカントリー(03)。『ビバリーヒルズ・コップ(※3)』のエディ・マーフィーの影響です(笑)。スタジャンとデニムにカントリーのスタイリングが、とにかく格好良かったなぁ。

アディダスの 「カントリー」
「カントリーは大きめを買って、紐でギュッと絞って履くのが格好良いんですよね」。

ヴァンズのブレイカーズ(04)は福岡では売っていなくて、NYに行く人に頼んで買ってきてもらいました。あと、リーボックの黒のフリースタイル(05)。サーファーの間でも流行していたし、フィットネス用に開発されたものだから、踊るのにもピッタリでしたね」。

ヴァンズの「ブレイカーズ」とリーボックの 「フリースタイル」
[04]「10足の中では唯一のレア物。ブレイクダンサーのためのヴァンズです。復刻してくれないかな〜」、[05]「自分は白より黒派。ローカットを最初に買って、次にハイカットを買い足すほど好きでした」。

幼い頃から大人も羨むようなスニーカー遍歴を重ねてきた三原さんは、高校に入るとパンクに目覚める。

「高校に入ってからパブリック・エナミー(※4)とかラップとパンクがミックスした音楽を聴くようになって、ドンズバの格好よりはちょっとダサい感じが格好いいと思うようになりました。で、その頃に輝いて見えたのがプーマのイージーライダー(06)とスウェード(07)。当時は人気がなかったから、ワゴンセールで安く売っていたのを買って履いていましたね。

プーマの 「イージーライダー」と「スウェード」
[06]「ワゴンセールで買った思い出の1足。コレがなければ、自社とのコラボレーションはなかったかも」、[07]「ヒップホップの世界では人気だったけれど、当時はプーマを街でお洒落に履いている人は皆無でした」。

RUN-DMCの大ブームのときはピンとこなかったアディダスのスーパースター(08)も、この頃によく履いていました。大学に入ってからも、多くのスニーカーを履きましたが、すべて共通するのは音楽とファッションがあってのスニーカー、ということです」。

アディダスの 「スーパースター」
「スーパースターはヒップホップな感じではなく、サラッと履くとお洒落に見えます」。

それから何足ものスニーカーを買って、何百足ものスニーカーをデザインしてきた三原さんは、今もスニーカーを作り続けている。

「僕はやっぱりギリギリの線を突くのが好き(笑)。人気の定番(09)と今季の新作(10)は、誰もがオリジナルのデザインを連想すると思いますが、何か変ですよね?その違和感こそが僕の作るスニーカーの持ち味だと思っています」。

メゾン ミハラヤスヒロの定番スニーカー
「このボコボコしたソールは、粘土で型を起こしたものを、レーザースキャニングして作っています」。3万7000円/メゾン ミハラヤスヒロ 03-5770-3291
メゾン ミハラヤスヒロの 新作スニーカー
「某ブランドへのオマージュです(笑)。スニーカーにはやっぱり、遊び心が必要ですからね」。2万8000円/メゾン ミハラヤスヒロ 03-5770-3291
偏愛トークにまつわるお節介な注釈


※1 ゲームセンターあらし
「コロコロコミック」で連載された、すがやみつる作の漫画。テレビゲームの攻略を題材にしたのが斬新だった。

※2 ソウル・トレイン

1971〜2006年まで放映されたアメリカのダンス音楽番組。ここから多くの人気ダンサーが生まれた。

※3 ビバリーヒルズ・コップ

1984年製作のアメリカのアクション映画。エディ・マーフィーはこの作品でスターの座に上り詰めた。

※4 パブリック・エナミー

1982年に結成されたNY出身のヒップホップグループ。三原さんが衝撃を受けたのは、’87年のデビューアルバム。


比嘉研一郎=写真 増田海治郎=文

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